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【Hurricane INIKI’s Attack in 1992】30年前の手記より (7)
9月13日 イニキ襲来から2日後 Part2
3日目以降
その後、3日目にカウアイ島のスタッフも全員無事であることも分かり、お店もオープンし始めた。買いたいもののリストを従業員に渡しキャッシュ払い。ガソリンスタンドでも1時間ほど待ってしかも制限量のキャッシュオンリー。キャッシュがなければ手に入らないのだ。
4日目位から水が出始めるがまだまだ節約しなければならない。
電話も繋がり、ホノルルの本社とも連絡が取れるようになり、正常な生活に戻るには、まだまだ時間はかかるけれど、ハリケーンで味わった、全てが一瞬になくなり、自分はこの宇宙の中でたった一人っきりだという孤独感や傷は、5日目にオフィスのすべての文明の利器が戻り、それらを使用することにより、徐々に薄れていったのである。
お客様を全員ホノルルに送った後、ようやく自分の家を見つめなおす。冷蔵庫の中のものを処分するために、庭に穴を作って埋める。カビの生えたお米や残り物のカレー、冷凍庫の中のものをドンドン捨ててゆく。こんなにあったんだ。結構なムダ。だけどどうしようもない。
後日、分かったのは、捨てたピー(マメ)から芽が出てきたことだ。この生命力に驚き、どれだけ励まされたことだろう。もうすぐするとパパイヤの芽も出てくるんじゃないの、と冗談で友人と話し合うことも出来るようになった。
(つづく)
「Westin」は地図のカウアイラグーンズ・リゾートに、「Kauia Hilton」はワイルア川の海側、「Kauai Sheraton」は南のポイプ・リゾートのところにあった(30年前なので、現在のホテル名は異なる)
Yukio Waka
大阪で生まれ、20代後半まで大阪で暮らす。アメリカに渡り、ニューヨーク、サンフランシスコを経て、ハワイへ。ホノルルで旅行会社に勤務中、カウアイ島への出向を命じられ赴任する。イニキ災害の後、ホノルルに戻り、ハワイ島に出向。ハワイ島の魅力に取りつかれ、現在に至る。