コラムを書いてみませんか?
という広告に気づいたのは、ハワイに引っ越して数か月の頃だった。2009年の春だったから、もう15年も前になる。書いてみようかな? と思ったけれど、そのときは何かと忙しくて、それっきり忘れてしまった。
それから数日後、アメリカ人の友人が「日本の新聞に何か書け」と言い出した。友人は日本語が読めるわけではないのだけれど、ハワイに日本人向けの新聞や雑誌があるのを知っていた。友人はリタイアしたジャーナリストだった。
そういえば、コラムを募集していたなあ。と思い出したのだけど、コラムという言葉は漠然としすぎている。何も思いつかない。そうだねえと、私はあいまいに返事をしておいた。
それから数日後、友人が英語でエッセイを書いてきた。これを翻訳して日本の媒体に持っていけという。そこまでされたら、対応せざるを得ない。私はコラムを募集していた新聞に連絡をしてみた。それが日刊サンだった。
コラムについて聞いてみると、履歴書を送ってほしいという。コラムを書くだけでもずいぶん関門があるんだなあと、ちょっと驚いた。一瞬断ろうかと思ったけれど、友人のこともあり、履歴書をメールで送った。
数日後、面接のお知らせがきた。面接? コラムを書くのに面接まで必要なの?私は学歴も職歴も平凡だし、特別なセールスポイントもない。これはだめだろうなと思ったけれど、今さら断れないので面接に行った。特技の欄には、「人を褒めるのが得意です」と書いておいた。
面接に現れたのは、髪の長いきれいな女の人で、「デキるひと」オーラで輝いていた。まぶしい! しかしどうも話がかみ合わない。と思ったら、先方は専属のライターを探していて、私はそれに応募してきたと思われていたのであった。
結局、私はコラムを書くだけでなく、そのまま専属ライターになってしまったのだった。人生って不思議。
それから2012年にハワイ島に引越すまで、毎日のように取材やインタビューがあった。めちゃくちゃ楽しかった。引っ越してからも遠方でできる仕事をさせてもらった。このコラムは15年も書いている。
人生でこんなに長く続けたことは他にないんじゃないかな? すべて日刊サンのおかげ。感謝の気持ちでいっぱいです。
あのとき、変な特技にも関わらず私を採用してくれて、本当にありがとうございました。日刊サン再開の暁には、ぜひまたコラムを書かせてください! よろしくお願い致します。
そして読者の皆様、長らくありがとうございました。また会う日までa hui hou!
No.286
相原光(アイハラヒカル)
フリーランスライター&翻訳
群馬県出身、早稲田大学卒業。2008年結婚してハワイに移住。夫は寿司シェフ。2012年4月双子猫パンとマーチを連れてハワイ島に引越。8月に玄米寿司とムスビの持ち帰り店「DRAGON KITCHEN」を夫婦でヒロにオープン。現在ライター兼寿司屋のお手伝いとして活動中。姉は漫画家の花福こざる。
like us on facebook “Dragon Kitchen Hilo”
えーっ、突然の最終回だなんて!ショックすぎる…。
最後のコラムのタイトルが「最初のコラム」とは。ウィットが効いててヒカルさんらしいです。
このコラムのお蔭で、ハワイの空に想いをはせハワイ欲がとても満たされていました。本当にありがとうございました。
そして15年(‼︎)もの長きにわたる執筆、お疲れ様でした。
でも、これから日本にいながらハワイ欲を満たすにはどうしたらいいのでしょーーーーーーっ!
ヒカル、フォーエバー‼️😭😭😭