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デジタル版・新聞

コラム 福島 再生の事実

福島 再生の事実 (6) 福島の今 第1部

東日本大震災、津波、そして原発事故から既に12年が経過した。世界中で頻繁に災害が発生しているが、やがてそれらは人々の記憶から薄れていくものだ。しかし、福島で被害を受けた原子力発電所は解体、除染、土地再生などが徐々に進められ、県全体で着実な復興の進展が見られている。

とは言え、福島の現状を知る人々は少ないのが実情だ。多くの場合は福島に関する報道はニュースとしての価値が薄いとされているようだが、私は日本の福島の復興について読者により深い理解を広めるため、この記事を執筆している。

福島の現状や取り組みについて、より多くの人々に情報を提供することで、復興への関心や支援を喚起したいと考えている。

2019年から1年間、ハワイから福島市に移り住み、福島の復興に関する調査研究を行ってきた結果、日刊サンに私が書いた記事が5本掲載された。

それらの記事では、福島県内を回り、多くの専門家への取材を通じて得た情報をもとに、放射能汚染対策、食品・魚の安全性、原発周辺の立入禁止区域、そして福島の再生について体系的に研究し、理解する方法を解説した。

2023年5月、日本への渡航制限解除後初めて福島を再訪し、原発事故の影響を受けた場所や人々に関する最新の情報を得ることができた。福島の現状や復興に向けた取り組みについて、読者の皆様により詳細な情報を提供することで、福島の再生への理解と支援を促したいと考えている。

この2部構成のシリーズでは、福島の復興における重要な節目と未解決の課題について説明する。

1部では、福島第一原子力発電所が立地する双葉町に焦点を当て、第2部では、原子力事故以降の身体と心の医療を提供するため、広島・長崎での研究や原爆被爆者への医療ケアから得られた知見や教訓を活用した福島県県民健康調査(FHMS)に注目する。

1:双葉町

 双葉町の伊澤史朗町長から、前回お会いした2019年以来、町がどのように発展してきたかについての話を伺った。原発事故直後、双葉町役場は埼玉県加須市に避難・移転、その後は福島県浜通り沿岸部のいわき市へと移転した。今回、双葉町内への住民帰還に合わせ開設された新しい役場仮庁舎で、伊澤町長にお目にかかった。町長は仮庁舎の放射線量が日本の他の地域や世界の他の都市と同程度であり、危険やリスクを伴うものではないことを示す線量計を見せてくれた。線量計には、毎時0.053マイクロシーベルトという数値が表示されており、安全性が確認されていることが示されていた。

 初めて面談した時、双葉町の同町長は2030年までに、避難者約7,000人のうち2,000人の帰還を達成するという町の積極的な再建と除染の取り組みについて説明してくれた。2022年8月、双葉町は福島県の自治体の中で最後に立ち入り制限を解除し、以前は立ち入りできなかった地域への住民の立ち入りも可能となった。

 双葉町からの避難者の多くは、12年前から何度も避難先を転居するという苦労を経験してきた。原発事故による放射能への不安に加え、震災後の不安定な雇用や教育の機会を求めて、多くの若者たちは他の地域へ移住するために双葉町を離れていった。

 原子力災害の影響を受けた双葉町のような町にとって、かつての緊密で活気あるコミュニティを再び形成し、再生するという課題は非常に大きなものだ。政府は道路や公共施設の再建、社会プログラムの開始、新たな住宅地の開発に多額の費用を投じてきたが、新たに移り住む可能性のある人々は、これらの施設やサービスへの投資にもかかわらず、現在の町のサービスレベルを、コミュニティに必要な最低限度と評価している。

 伊澤町長から提供されたデータによれば、2011年から2023年までの間に、双葉町の登録住民数は7,140人から5,489人に減少し、その割合は23%の減少となっている。この数字は、双葉郡の8つの自治体の中で3番目に大きな減少率だ。人口減少は日本の多くの地域で深刻な問題となっており、その影響が双葉町の避難者の帰還問題をより複雑化している。避難者の帰還は進んでおらず、双葉町に戻ってきたのはわずか70人という数字だが、この状況は、高額な産業や事業への投資や地域社会プログラムの実施にもかかわらず、現時点では帰還が可能な人々の数が限られていることを示している。

 日本全国に避難した双葉町の元住民は42都道府県に居住している。伊澤町長は当初の帰還者数目標を下方修正し、2030年までに元住民の10%を帰還させ、残りの人口を双葉町への新規移住者としたいと述べている。3年前からすべての現・旧町民を「双葉町町民」と呼ぶようになった同町長は、現在でも広報紙や様々な機会を通じて町民と連絡を取り合い、帰還を希望する場合に備えた連絡手段を提供している。多くの元町民は、賠償金を活用して住宅を購入、子育てや新生活を別の場所で築いている。同町長は、元町民の大半が双葉町に戻ることはないと認識しており、双葉町の人口増加は新しい若い住民の移住によって実現しなければならないと述べている。しかし、双葉町にある職場の新入社員の多くは他の地域から通勤しており、現状が改善されない限り、職場に近い場所への移住は容易ではないとされている。

 安全な地域での生活や仕事を希望する人々にとって、双葉町中心部の除染作業は基本的な要件となっている。20113月の原発事故以来、福島県のほとんどの都市部は安全な放射線レベルに回復し、多くの人々の生活は通常の状態に戻っている。

 事故直後、福島県内では立ち入り禁止とされた地域が12%存在したが、現在ではその範囲はわずか2.3%(約124平方マイル)の制限地域にまで縮小されている。さらに、この制限地域も着実に縮小されており、除染作業の進展によって安全な環境が広がっている。

 双葉町の産業とビジネス基盤の最終的な再建と人口の回復について、伊澤町長は楽観的な見方を示しているが、その理由は、町の中核産業が原子力発電所の廃炉作業に関わる安定した雇用を提供することにある。東京電力福島第一また第二原子力発電所も近隣にあり、廃炉作業は現在初期段階に進んでいる。双葉町は、原発事故の影響に加え、住民の継続的な流出という課題にも直面しており、地域の再建と人口回復を目指しての挑戦をしている。

 

 前例のない災害によって壊滅的な被害を受けた福島県沿岸部浜通り地域の再生に困難を覚悟した日本は、チョルノービリでソビエト連邦が行ったように、福島を見捨てることはなかった。ソビエト連邦は、チョルノービリ周辺の2,800平方マイルの土地を立ち入り禁止区域とし、原子力発電所をコンクリートのシェルター(新安全保護閉じ込め構造物)で覆い封じた(石棺)。そのシェルターは後に再建され、高さ108メートル、長さ162メートルの巨大な構造物となったが、日本は、福島の象徴となるような封じ込められた原子力発電所を望んではいなかった。

伊澤町長が線量計を示している様子

 日本政府は、原子力事故後に失われたものを復元し、土壌の除染、インフラの再建、事業やサービスの再構築、人口減少地域の再生を含む、費用のかかる長期戦略による「建て直し」を目指した。この野心的な計画には、浜通り地域におけるロボット技術やドローン、農業、林業・漁業、エネルギー、環境とリサイクル、航空宇宙、原子炉の廃炉など、最先端の産業の育成も含まれているが、この計画の成果を判断するのはまだ早い段階だ。

 第2部では、事故当時に福島にいた人々の健康について詳細に取り上げ、その結果を報告する。

2023.8.4

スティーブ・テラダ

日系三世のアメリカ人で、祖父母が112年前に熊本からハワイに移住。ワシントン州シアトルの米国陸軍工兵隊・不動産部門のチーフを退職。在日米軍の不動産部長として東北から広島までの米軍基地の不動産管理に当たっていた。
陸軍を退職後、災害管理援助のため1年間の予定で福島に移住。現在も福島が「悪評」に苦しんでいることを知り、地元の人たちから福島の実態を世界に知ってもらうために、第三者的視点でストーリーを書いてほしいと頼まれたことから事実の伝達者として1年間のビザを取得。現在調査と執筆のため、福島県福島市に在住。

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