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デジタル版・新聞

高尾義彦のニュースコラム

東日本大震災から10年 いま考えること

 東日本大震災に襲われた衝撃の2011年3月11日から10年。新聞、テレビなどメディアはこの10年を振り返り、現状と今後の展望を報告している三陸大津波の被害を間近に見た個人的な感慨を中心に東京電力福島第一原発の廃炉問題をはじめ、いまだ復興途上の大災害について考えたい。

 津波の傷跡が残る岩手県田野畑村を今年初めに訪れた。太平洋に面して「本家旅館」を営む連れ合いの母、畠山照子が94歳で急死、葬儀に参列した。10年前の津波で小高い場所にある旅館から海に向かって広がっていた民家、商店や郵便局、駐在所など約80軒は津波に呑まれた。跡地には民家は再建されず避難用の道路が設けられ、海岸には防潮堤も出来上がっている。

「あの日」の直前に亡くなった義父栄一旅館の海側に築いた城壁のような構築物が、20㍍近い高さで襲っ津波を食い止め、旅館は守られた。昭和8年の大津波の体験が〝城壁〟構築の動機だった。三陸には、津波の時には、めいめいがとにかく逃げろと「津波てんでんこ」の言い伝えがあり、少年の頃、坂道を駆け上がって逃げた体験談を何度か聞いた。

 その昔、『三陸海岸大津波』を執筆した作家、吉村昭さん達が泊まったこの旅館は三陸鉄道田野畑駅のすぐ近くに位置する。「あの日」からしばらくして訪れた際、隣りの島越駅は10数㍍の高さに設けられていた駅舎が跡形もなく、駅に上がる階段の一部しかっていなかった。人口約3800の村では、29人が犠牲になり、村民347人が避難生活を送った。 

毎日新聞では津波直後に三陸沿岸の被災地、記者が北から南にたどって取材し「沿岸南行記」を掲載した同じ場所を昨年10月に改めてたどるルポを企画し、本家旅館も取り上げられた。義母はこの取材に元気に応えていたので、急死が信じられない思いだった。この連載をはじ新聞などは被災10年の節目に向けて記憶を風化させまいと被災地からの報告を続けている。

 作家、柳美里さんは2015年から東電福島原発に近い南相馬市に移住しブックカフェ「フルハウス」を経営している。昨年、小説『JR上野駅公園口』の翻訳版が全米図書賞を受け、筆者は日本記者クラブで行われた記者会見(12月)を聞いた。作品は、南相馬出身の男性が東京に出稼ぎに出てホームレスになる物語。地元のラジオ番組で600人の住民の話を聞き、その対話から小説が生まれたという。放射能の除染作業に携わって亡くなりながら遺骨の引き取り手がいないケースもあり、「自分が内視鏡になってその人物の心の中を映したい」と語った。福島を舞台に次作の構想を考えているという言葉に、現場に身を置いた作家の決意に共感した。

 大津波以来、岩手県を中心に機会あるごとに被災地を見てきたが、新型ウイ

 

ルス感染が拡大したこの1年、現地を訪れることは難しくなった。日本記者クラブでは被災地の自治体首長らの記者会見を13回にわたって企画。緊急事態宣言下、半がリモートに切り替えられ、筆者もパソコンの画面に向かった

月に入って、最初に岩手県陸前高田市の戸羽太市の話を聞いた。奇跡の一本松で知られるが、市長は盛り土をして造成した宅地に、空き地が目立つことなど復興途上の苦労を語った。かつての住民が戻ってこないため用意した住宅・商業地に空き地が目立つ現象は、大槌町など各地で目立つ。

会見を聞いたのは、岩手県宮古市長、宮城県女川町長、南三陸町長、川内村長、福島県内堀雅雄知事と浪江町長。新聞がまとめた被災42市町村長のアンケートによれば、岩手の12市町村、宮城の15市町村が復興は9割以上果たされたと回答し一方で原発を抱える福島県の15市町村は「まだ60%」以下の回答が半ばを占め、対比が目立った。

宮古市では被災前、田老地区を中心に鉄壁と思われた防潮堤が設けられていたが、津波はこれを越えて人々を飲み込んだ。被災後、3県沿岸340キロにわたって防潮堤計画が進が、海が見えない上、本当に安全性が確保されるのか、疑問の声も上がる。気仙沼市の畠山重篤さん(76)は舞根地域の入り江で牡蠣養殖に携わり「森は海の恋人」と植林にも力を入れてきたここでは住民が高台に集団移転し、防潮堤を辞退した。

被災地の中で最も過酷な対応を強いられているのが福島県で、内堀知事は2051年頃完了予定の第一原発の廃炉計画について「影を抱え続ける悩ましい問題」と指摘。放射能汚染水の海洋投棄の是非という課題も抱える。桃、コメ、和牛など特産物に対する風評被害に触れて「挑戦」をキイワードに県産品の輸出に力を入れ、世界最大の水素製造拠点を浪江町に建設する計画などを紹介して、前を向く姿勢を示した。

テレビ岩手が制作したドキュメント映画「たゆたえども沈まず」(3月5日公開)の試写も見た。映画は津波に翻弄されながら立ち上がって生きようとする人たを描き、登場した人たちの姿に希望を託したい思いを強くした

高尾義彦 (たかお・よしひこ)

1945年、徳島県生まれ。東大文卒。69年毎日新聞入社。社会部在籍が長く、東京本社代表室長、常勤監査役、日本新聞インキ社長など歴任。著書は『陽気なピエロたちー田中角栄幻想の現場検証』『中坊公平の追いつめる』『中坊公平の修羅に入る』など。俳句・雑文集『無償の愛をつぶやくⅠ、Ⅱ、Ⅲ』を自費出版。


(日刊サン 2021.03.10)

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