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木村伊量の ニュースコラム

【ニュースコラム】「若大将」と日本の戦後

 ひょんなことから、1963年の東宝映画『ハワイの若大将』を久しぶりにDVDで観る機会がありました。まだ、デラックスなリゾートホテルもまばらなワイキキの浜辺で、加山雄三ふんするスポーツ万能の若大将と、田中邦衛演じる青大将、それにヒロインの星由里子が織りなす恋のさやあて。(ヒロインは後に酒井和歌子となりました)

 エレキギターと歌とダンス、ヨットやスキーに興じる、現実にはありえない「翳(かげ)りのない」学生たちがスクリーンに躍動します。学生運動も就職氷河期も無縁だし、毎度似たような、何ともたわいもないストーリーなのですが、「若大将」シリーズは、戦後の荒廃から抜け出し、60年代の高度経済成長に向かう、妙に明るい世相を反映したものでもあったのでしょうか。

 女性にもてるイケメン若大将と、いつもふられる金持ちの家のボンボンの青大将というワンパターンは承知で、小学生だったわたしも映画館に通いました。冬休みが始まり、「若大将」と怪獣映画の二本立てを、ポップコーンを口に放り込みながら観ようものなら、盆と正月が一緒にやってきたような幸福感にひたったものです。

 加山雄三が歌う「君といつまでも」は大ヒット。自宅の風呂で「幸せだなあ。僕は君といる時がいちばん幸せなんだ。僕は死ぬまで君を離さないぞ、いいだろ」というキザなセリフを口ずさんでいると、父に「子どもがませた歌を歌うものじゃない」とたしなめられました。

 日本映画が国民の生活に根づいていた時代。東映のちゃんばら、日活のアクション活劇、そして東宝の「若大将シリーズ」や、森繁久彌主演のサラリーマン喜劇「社長シリーズ」は、人々に共通の娯楽でした。

 加山さんは、シリーズのなかで特に印象深い作品は、と問われて「ほとんどストーリーが一緒だからねえ」と笑いました。マンネリの極みとも批判されましたが、森繁さんは「ものはマンネリズムにならなければよくない。歌舞伎なんかみんなマンネリズムだ」と持論を唱えていたそうです(『昭和史講義 戦後文化篇 下』ちくま新書)。

 たしかに、ご老公・水戸黄門の葵の御紋の印籠(いんろう)も、江戸町奉行・遠山の金さんの片肌脱いだ桜吹雪の入れ墨も、美女に片思いしてはふられる渥美清のフーテンの寅さんも、マンネリそのものですが、こうした「お約束ごと」があってこそ、人々はどこか安心してテレビやスクリーンにかじりついたのですよね。ある意味で、激しく変化していく日本社会の「精神安定剤」としての役割を果たしていたのかもしれません。

 学生時代に「可が山のようにあり、優は三つ――可山優三」というおバカなダジャレが流行った覚えもありますが、わたしが加山さんの演技に強く惹かれたのは1970年の東宝映画『激動の昭和史 軍閥』でした。そこでの加山さんは、あの能天気な若大将の明るさはみじんもなく、軍部と向き合う海軍省詰めの毎日新聞政治部記者・新井五郎をシリアスに演じています。

 実在したモデルは新名丈夫(しんみょう・たけお)記者。新名記者は1944年2月、新聞の1面に「勝利か滅亡か、戦局は茲(ここ)まできた」「竹槍では間に合わぬ、飛行機だ、海洋飛行機だ」という記事を執筆。これが東條英機首相の怒りを買い、二等兵として陸軍に懲罰召集されたのでした。世に「竹槍事件」と呼ばれます。

 明治生まれの38歳、弱視で兵役免除になっていた新名記者だけを召集したことを海軍に批判されると、陸軍はやはり古参の兵ばかりを第11師団歩兵第12連隊(丸亀連隊)から道連れに250人召集して帳尻合わせをします。気の毒なことに、この250人は後に硫黄島に送られ、全員が戦死しています。

 新名記者はわたしと同じ高松市の出身です。高校時代にこの映画を高松で観たわたしは、加山さんふんする記者の、軍部の圧力に屈しない硬派ぶりに感動し、なんとなく新聞記者を志そうという気持ちに傾いていった気がします。

 その加山さんも85歳。近年は脳梗塞、小脳出血と、闘病とリハビリの日々が続き、今年6月、コンサート活動からの引退を宣言しました。9月9日には東京でラストショーのステージに上がります。

 色褪(あ)せぬ歌声と、不屈のチャレンジ精神は衰えるところを知らず。「永遠の若大将」として、夢をつむぎ続けてほしいと願っています。

(日刊サン 2022.8.26)

木村伊量 (きむら・ただかず)

1953年、香川県生まれ。朝日新聞社入社。米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員、ワシントン特派員、論説委員、政治部長、東京本社編集局長、ヨーロッパ総局長などを経て、2012年に代表取締役社長に就任。退任後は英国セインズベリー日本藝術研究所シニア・フェローをつとめた後、2017年から国際医療福祉大学・大学院で近現代文明論などを講じる。2014年、英国エリザベス女王から大英帝国名誉勲章(CBE)を受章。共著に「湾岸戦争と日本」「公共政策とメディア」など。大のハワイ好きで、これまで10回以上は訪問。

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