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デジタル版・新聞

木村伊量の ニュースコラム

【ニュースコラム】「皇帝の料理人」が包丁を研(と)ぐとき

 北朝鮮の「首領」だった故金正日・元総書記の専属料理人として仕えた稀有(けう)な経験を持つのが、藤本健二さん(ペンネーム)です。金正日氏の好物がマグロのトロの握りだったとか、彼でしか知り得ない「国家機密」の一端がメディアに明かされて話題になったものです。

 ロシアに君臨する現代の皇帝、プーチン大統領の「お抱え料理人」と呼ばれてきたのが実業家出身のエフゲニー・プリゴジン氏でした。食材の「ケータリング・サービス」をきっかけに軍に取り入り、プーチン氏と親密な関係を築き上げ、やがて傭兵のケータリングに手を染め、民間軍事会社「ワグネル」という名のコングロマリットの総帥として、ロシアの政治・経済にも巨大な影響力を持つようになっていくのです。

 どことなく、ロシア帝政末期に皇帝ニコライ2世一家に取り入って暗躍した怪僧ラスプーチンを彷彿(ほうふつ)とさせるプリゴジン氏。彼の思いもよらぬ「反乱」に、プーチン氏が青ざめたことは間違いありません。「飼い犬に手を噛(か)まれた」どころの騒ぎではないでしょう。

 ただ、「首都モスクワへ進軍」と言えば勇ましいけれど、実態は傭兵の待遇改善と軍上層部の刷新を求める陳情のためのクレムリン詣(もう)で、ではなかったのか。プーチン政権打倒の野望があったとは思えません。あっけなく矛(ほこ)をおさめたプリゴジン氏が、やがてラスプーチンのように消される末路をたどるのか、それはわかりません。確かなのは、プーチン政権がワグネルに汚れ仕事を押しつけながら、プリゴジン氏と一心同体となって貪(むさぼ)って来た利権を手放す気はさらさらない、ということです。

 米戦略国際問題研究所(CSIS)などによると、ワグネルはリビア、スーダン、中央アフリカ、マリなどアフリカ諸国を中心に、受刑中のならず者らをリクルートした傭兵の戦闘員を派遣し、正式の軍隊のような扱いを受けてきました。ワグネルの傭兵たちが肩代わりしたロシアの軍事支援の見返りに、「金、ダイヤモンド、ウラン」などの希少鉱物資源の採掘権を手にし、ロシア政府とワグネルで莫大な利益を分かち合ってきた、という見方は絶えません。

 だとすると、プーチン氏が「ワグネルには兵員給与や賞与の支払いに、ロシア政府は年に10億ドル分を負担した」と金くい虫ぶりを嘆いたところで、これまでさんざん「捨て駒」として便利に使ってきたワグネルを、いきなり切って捨てるのは難しいでしょう。「裏切り者」プリゴジン氏の処断は別にして、持ちつ持たれつの「腐れ縁」はなお続く、と見た方がよさそうです。

 ロシアと同盟関係にある隣国ベラルーシのルカシェンコ大統領が、一時的であれ、プリゴジン氏をかくまったのも、スーダンでの金採掘権などをめぐって、ワグネルはまだまだ利用価値がある、と踏んでのことに違いありません。

 傭兵といえば、フレデリック・フォーサイス原作の『戦争の犬たち』(1980)を思い出す人がいるかもしれません。アフリカの架空の国ザンガロで、英国の北アイルランド出身の主人公が率いる傭兵部隊が独裁政権を倒す物語です。

 傭兵の歴史は古く、不況やペスト禍に見舞われた近世の欧州では、出稼ぎ農民たちが戦場に傭兵として駆り立てられました。19世紀後半、インドシナに侵攻したフランスの傭兵たちは「外人部隊」として知られました。ローマのバチカン市国はいまも、イタリア兵ではなく、スイスの傭兵が警護についています。

 文豪ヘミングウエイは、スペイン市民戦争に義勇兵として参加しました。では、傭兵に応じる、あるいは志願兵として海外での戦闘に参加する、そうしたことが日本で許されるのでしょうか。2019年、過激派組織イスラム国(IS)に戦闘員として参加するために、シリアに渡ろうとした北海道大学生ら5人が刑法93条の「私戦予備及び陰謀罪」に問われて書類送検されました。結局、全員が不起訴になりましたが、法律家の間でいまだに議論が絶えません。

 「プリゴジンの乱」が浮かび上がらせたのは、正規兵の犠牲をできるだけ抑えて国民の批判をかわす一方で、高額の報酬をエサに集めた、命知らずの下請けの傭兵たちは、いくらでもスペアがある「消耗品」として使い倒される現実です。彼らがプーチン氏の無謀な戦争を支えてきたのです。

 さて、威信が大きく揺らいだ70歳のプーチン氏の運命やいかに。大胆に予測するなら、プーチン氏は来年3月の大統領選挙を機に、大統領を辞任すると思います。順当なら、元国税庁長官で、経済センスが評価されているミシュースチン首相への禅譲、となるのではないでしょうか。

(日刊サン 2023.7.14)

木村伊量 (きむら・ただかず)

1953年、香川県生まれ。朝日新聞社入社。米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員、ワシントン特派員、論説委員、政治部長、東京本社編集局長、ヨーロッパ総局長などを経て、2012年に代表取締役社長に就任。退任後は英国セインズベリー日本藝術研究所シニア・フェローをつとめた後、2017年から国際医療福祉大学・大学院で近現代文明論などを講じる。2014年、英国エリザベス女王から大英帝国名誉勲章(CBE)を受章。共著に「湾岸戦争と日本」「公共政策とメディア」など。大のハワイ好きで、これまで10回以上は訪問。

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