年齢のせいでしょうか、年経(ふ)るにつれて、古い街並みやレトロな建物が再開発で消えていく大都会に出かけるのが億劫(おっくう)になってきました。「鋼鉄とガラスとコンクリート」でつくられた、ピカピカの超高層ビルの中の、こじゃれたレストランで会合、といった案内を受けると、つい、なんだかんだと言い訳をつくって欠席の通知を出してしまいます。
わたしは横浜のはずれに住んでいますが、JR横浜駅周辺はターミナル機能が集まっていて、せかせかした、うるおいに乏しい街という印象があります。しかし、駅から徒歩10分、幕末の横浜港開港以来の歴史をいまに伝える老舗料亭を先日、フランスからの客人とともに訪ねる機会があり、その静かな佇(たたず)まいに、すっかり魅了されました。
歌川広重の「東海道五十三次」の「神奈川宿」に登場する茶屋の「さくらや」が、その後、料理屋「田中家」と名を改め、いまも続いているのです。マンション群に囲まれて周囲の環境は一変しましたが、その昔は室内から海に釣り糸を垂らして魚釣りができた「オーシャンビュー」の宿だったらしく、坂本龍馬亡き後、妻おりょうさんが仲居として働き、高杉晋作、伊藤博文、夏目漱石らが訪れた記録もあります。風情がある庭を眺めながら、往時をしのびました。
「乗り鉄」「撮り鉄」と鉄道ファンは数多いようですが、わたしが強い興味を抱くのは駅舎です。最初の海外旅行先であるインドのムンバイ(ボンベイ)のチャトラパティ・シバージー・ターミナス駅の、ヴィクトリア朝の壮麗な建物に見とれて以来、各地の駅舎をカメラに収めてきました。米国の首都ワシントンのユニオン駅、ニューヨークのグランド・セントラル駅、ロンドンのセント・パンクラス駅、エジンバラ・ウエイヴァリー駅、パリ北駅、ドイツのブレーメン駅、ケルン駅、イタリアのミラノ中央駅……名匠ヴィットリオ・デ・シーカ監督の映画『終着駅』の舞台、ローマのテルミニ駅の芸術的なデザインも見事です。
こうした駅は、列車に乗らずとも、旅と人生のドラマを感じさせますよね。
そこへいくと、日本のJRや私鉄の駅舎のなんと貧相で安っぽいことよ。東京駅や、(賛否が分かれますが)京都駅、金沢駅、門司港駅などは例外として、たいてい画一的で、どこも同じようなつくり。清潔で、便利で、弱者にもやさしそうだけど、言っちゃあなんだけど、つまんないのなんの。
昔の長野駅は善光寺を抱える門前町らしく、仏閣型の瓦屋根が印象的で、風格があり、降り立つと「信州に来たなあ」という感慨にふけったものでした。風見鶏(かざみどり)がシンボルで最古の木造建築駅だった山手線の原宿駅は、ガラス窓だらけの明るい新駅になりました。
わたしの故郷は四国の高松ですが、瀬戸内海に臨む高松駅も、奇抜なガラス張りの現代風の建物で、いまだになじめません。かつては宇高連絡船の乗り場として、出航を告げる連絡船のドラが鳴り、「蛍の光」のメロディーが流れ、見送りの五色のテープが舞い、背に大荷物を背負った商人たちが桟橋(さんばし)に急ぐ光景が繰り広げられたものでした。
懐古趣味、と言われれば返す言葉がありません。ただ、ひとの暮らしに欠かせない「ぬくもり」「手触り」「臭い」といったものが、急速に失われていると感じるのは、わたしだけでしょうか。大げさに言えば、現代都市文明の荒波に、過ぎし日の文化が押し流されているのかもしれません。
昨年亡くなった作家で歴史家の渡辺京二さんの代表作『逝(ゆ)きし世の面影(おもかげ)』には、近代化の波が押し寄せる前の、世界でもまれな「田園都市」江戸を訪れた外国人たちが、貧しくとも、自然と調和して豊かに暮らす人々に強い印象を持ったことが描かれています。
1861年(文久元年)から横浜で暮らした米国人宣教師の妻マーガレット・バラ夫人のお気に入りは「生け垣」でした。「横浜をはずれたあたりではとても見事な生け垣が見られます。田園地帯の素晴らしさは、おもにこうした生け垣のおかげなのです。みすぼらしい農家が素敵な生け垣にすっぽりかこまれ、家そのものはわびしくても全体としてはとても美しい情景になっています」
戦後日本のアイロニーのひとつは、「保守」を任じる政治家たちが、乱脈な国土開発の音頭をとって自然と地域、文化を破壊し、海を埋め立て、巨大ダムをつくって村を湖の底に沈めてきたことだと思います。「高度経済成長と国土保全のためには、仕方なかった」。ほんとうにそうでしょうか。
失って戻らぬものの大きさが、胸に迫ります。
(日刊サン 2023.6.23)
木村伊量 (きむら・ただかず)
1953年、香川県生まれ。朝日新聞社入社。米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員、ワシントン特派員、論説委員、政治部長、東京本社編集局長、ヨーロッパ総局長などを経て、2012年に代表取締役社長に就任。退任後は英国セインズベリー日本藝術研究所シニア・フェローをつとめた後、2017年から国際医療福祉大学・大学院で近現代文明論などを講じる。2014年、英国エリザベス女王から大英帝国名誉勲章(CBE)を受章。共著に「湾岸戦争と日本」「公共政策とメディア」など。大のハワイ好きで、これまで10回以上は訪問。