先日、東京のサントリーホールで、ピアニストの上原彩子さんの演奏によるラフマニノフとチャイコフスキーの「ロシアの二大ピアノ協奏曲」を鑑賞しました。チャイコフスキーの協奏曲1番にはウクライナ民謡が取り入れられています。名曲に夢うつつになりながら、ウクライナを力で踏みにじるロシアの蛮行への哀しみが胸にあふれました。
コンサートの主催者は「コロナ禍に加えて、この事態。これからはロシアの作品の上演は難しくなるかも」と顔を曇らせました。ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団は、プーチン大統領と親しいことで知られるロシア出身の著名指揮者ワレリー・ゲルギエフ氏を解雇しました。
ロシアの侵略に一点も弁護できる点はありません。プーチン氏は民族的にも、歴史的にもロシアとウクライナは一心同体だったと強調しています。しかし、それは半分正しく、半分間違っています。独ソ戦の最中の1942年に西ウクライナで結成された「ウクライナ蜂起軍」(UPA)は、ナチス・ドイツとソ連の赤軍の双方に対してレジスタンス活動を行い、第二次大戦後もソ連と戦いました。現在のウクライナの祝日「祖国防衛の日」は、UPAの創設日なのです。
プーチン氏は旧ソ連の崩壊を「20世紀最大の地政学的惨事」と言ってはばかりません。わたしには、そうは思えません。彼の帝国再建の野望と狂気に屈するわけにはいかない。ロシア軍のおびただしい数の戦車がウクライナの首都キエフに向かう映像を見ると、かつて取材した二人の人物を思い出します。
ソ連の威光を背にしたハンガリー共産党の独裁に抵抗して、市民や学生が立ち上がった「ハンガリー動乱」が起きたのは1956年10月のことでした。首都ブダペストの物理学研究所の秘書だった当時23歳のアーレット・ドリンスキーさん(2017年死去)は、英雄広場で巨大なスターリン像が引き倒されるのを目撃しました。
しかし、群衆の蜂起に怒るソ連は2500台の戦車部隊を投入。市街戦で数千人のハンガリー国民が命を落とし、反乱は封じ込められます。国民の支持で首相に返り咲いたイムレ・ナジ氏や多くの反乱参加者は処刑されました。
「20万人が国外に亡命しました。わたしには母親がいたし、無理でした。89年に体制が変わるまで、長くつらい時代でした」。老いたドリンスキーさんの目に涙が浮かんでいたのを覚えています。
バルト三国の北の端、エストニアの首都タリン。フィンランド湾を見下ろす丘の上には、ネギ坊主のお化けのようなロシア正教の聖堂がそびえています。この聖堂こそ、かつてのロシアによるエストニア支配の象徴でした。
ロシア革命の翌年にいったんは独立を宣言したものの、エストニアらバルト三国は「秘密協定」でソ連の支配下に入り、独立を果たすのは91年。EUと北大西洋条約機構(NATO)に加わったのは2004年のことでした。
淡いピンク色の大統領官邸に、トーマス・イルベス大統領を訪ねたのは2007年の早春。ロシアとソ連の呪縛(じゅばく)から解放され、「小国でもグローバルなデジタル大国をめざす」「冬の夜が長いこの国では、飲酒よりパソコンの方が健康にいいんだよ」と意気盛んに語りました。
イルベス氏はかつて、米国で心理学や哲学を学び、ソ連支配下のエストニアに向けて、9年間、ドイツからラジオで民主化を呼びかけた筋金入りの「反ソ連」の闘士。「二度とロシアの支配を受けたくはない」と繰り返したものです。
しかし、人口133万人のエストニアはロシア人が25%を占める多民族国家。タリン市内の、ナチス・ドイツと戦った旧ソ連赤軍兵士をたたえる銅像の撤去をめぐっても、国民の意見は割れました。別れ際に、わたしと同い年のイルベス氏がポツリと漏らした言葉が胸を去りません。「実はわたしの母親はロシア人女性でしてね」。複雑なモザイク国家の苦悩を見た思いでした。
旧ソ連時代のハンガリー動乱、「プラハの春」の圧殺、アフガニスタン侵攻、新生ロシアのもとでのチェチェン紛争、南オセチア紛争(ロシア・グルジア紛争)、そして8年前のクリミア半島強制併合と、今回の事態……。第二次大戦後も、ソ連・ロシアの周辺で戦火が絶えることはありませんでした。
「第二次冷戦」「新冷戦」がおおっぴらに語られ始めています。時計の針を逆戻りさせるのか。世界は瀬戸際に立っています。
(日刊サン 2022.3.14)
木村伊量 (きむら・ただかず)
1953年、香川県生まれ。朝日新聞社入社。米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員、ワシントン特派員、論説委員、政治部長、東京本社編集局長、ヨーロッパ総局長などを経て、2012年に代表取締役社長に就任。退任後は英国セインズベリー日本藝術研究所シニア・フェローをつとめた後、2017年から国際医療福祉大学・大学院で近現代文明論などを講じる。2014年、英国エリザベス女王から大英帝国名誉勲章(CBE)を受章。共著に「湾岸戦争と日本」「公共政策とメディア」など。大のハワイ好きで、これまで10回以上は訪問。