イマドキの日本の若者の会話から――。
「この曲まじヤバくねえ」「それま?TBS(テンション、バリ下がる)じゃん」
うん?では、皆さんのために、このジジイが通訳してしんぜよう。
「この曲とてもいいよね」「そうかな?テンションがぐっと下がるじゃない」
いやはや、彼らときたら、きっと、別の惑星からやってきたに違いありません。わたしは若者言葉のお遊びに「日本語の乱れにもほどがある」なんて目くじらを立てる気はありませんが、「こおわー」という不思議な響きの新語が「学校終わった」という意味だと知った日には、こらこら、いい加減にせんかい、と言いたくもなります。
でも、ものの本によると、「ビビる」「ムカつく」といった若者用語のように思える言葉も、もともとは平安の御代から使われていたようです。「ダサい」(野暮ったい)という言葉は1970年代に生まれた、息の長い若者用語で、いまではシニア世代にも立派に通用しますが、イマドキの若者はめった使わない。言葉の世界はなかなか奥深いものです。
「マルモイ ことばあつめ」という韓国映画のDVDを鑑賞する機会がありました。日本の植民地統治下の1940年代の朝鮮半島を舞台にしたオム・ユナ監督による作品。日本による内鮮一体というイデオロギーのもと、「創氏改名(そうしかいめい)」によって人々の名は日本人風に変えられ、学校や職場で、朝鮮語(韓国語)の使用は禁じられていきます。日本の官憲の目をかいくぐりながら、全国の言葉や方言をこつこつと集め、朝鮮語辞典をつくるために奮闘する市井(しせい)の人々の姿が感動的に描かれています。
消されてゆく母国語への熱い思い。女性編集者が「言葉は民族の精神を盛った器です」と毅然と語るシーンが胸に迫ります。
洋の東西を問わず、近代国家では国民の統合をはかるために、方言が追っ払われ、言葉が「標準語」に統一されていきました。ナショナリズムの形成に、言葉が果たした役割はまことに大きいのですね。
フランスの作家アルフォンス・ドーデの小説『最後の授業』には、普仏戦争に敗れてドイツに組み入られたアルザス地方で、フランス語を教える老教師アメル先生が、教室の黒板に「フランス万歳」と書き残す場面が感動を呼び、フランス人の愛国心を呼び覚ましました。
19世紀の英国では、イングランドに併合されたウェールズの人びとにケルト文化由来のウェールズ語を捨てさせ、「純正英語」に統一させる運動が盛んになります。ウェールズ語を話した子供には首から「罰札」がかけられたのです。うり二つのことが、明治以降の沖縄や南西諸島でも行われました。標準語を使わずに、地元の方言をしゃべった者には、罰として「方言札(黒札)」を首からぶら下げさせて辱(はずかし)めたのです。民俗学者の柳田国男は、これをきびしく批判しました。
さて、ハワイを訪れるたびに魅せられるもののひとつは、ハワイ語のやわらかな響きが奏でる優雅さ、美しさです。英語に加えて、ハワイ語がハワイ州の公用語になったのは1978年のことだそうですね。残念ながら、わたしはアロハとマハロ、海亀のホヌくらいしかハワイ語を解しませんが、5つの母音と7つの子音、それにオキナとカハコーという記号でつくられるシンプルさが、素朴な味わいを引き立てているように思います。ハワイ語を耳にしただけで、波が押し寄せるヤシの浜辺の「空気」さえ感じられるほどです。
もともと文字を持たなかったハワイにアルファベットのローマ字を伝えたのは、19世紀にキリスト教の布教に訪れた宣教師たちでした。1898年に米国の準州となってからは、ハワイ語は地名や通りの名、歌にわずかに名残をとどめるくらいで、歴史に埋もれかけたようですが、1970年代の「ハワイアン・ルネッサンス」で、ハワイの古い言葉や伝統的な精神文化への誇りを取り戻そうという機運が高まったのでした。
‘onoとはハワイ語で「おいしい」という意味です。ホノルルのレストランでボーイさんに、This is so ‘ono.(これ、とてもおいしいよ)と勧められたのに、意味がわからず、どぎまぎしたのも懐かしい想い出です。
では、 A hui hou (ア フイ ホウ) またお会いしましょう!
(日刊サン 2021.02.05)
木村伊量 (きむら・ただかず)
1953年、香川県生まれ。朝日新聞社入社。米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員、ワシントン特派員、論説委員、政治部長、東京本社編集局長、ヨーロッパ総局長などを経て、2012年に代表取締役社長に就任。退任後は英国セインズベリー日本藝術研究所シニア・フェローをつとめた後、2017年から国際医療福祉大学・大学院で近現代文明論などを講じる。2014年、英国エリザベス女王から大英帝国名誉勲章(CBE)を受章。共著に「湾岸戦争と日本」「公共政策とメディア」など。大のハワイ好きで、これまで10回以上は訪問。