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ニュースコラム 高尾義彦のニュースコラム

【高尾義彦のニュースコラム】若手音楽家を支援してきた千葉・薔薇の館のコンサートに暗雲

 ロサンゼルスのビバリーヒルズをもじって、チバリーヒルズと呼ばれた一帯が千葉市東部(土気)にある。バブル景気さなかの1989年に一戸当たり数億円の豪邸が10棟ほど分譲され、その一画に歯科医、本間憲章さん(75)のローズガーデンがある。本間さんはバラの季節に若手音楽家を支援する連続コンサートをここで開いてきたが、昨秋、脳幹出血に倒れ、支援活動の先行きが危ぶまれる。

 ドクター本間は日本歯科大学を卒業し、医療法人本間歯科理事長として、松戸市、千葉市、浦安市など5か所の診療所を経営してきた。そのかたわら、NPО法人、GRCT(The Guiding Rose for the Cultivation of Talent)、つまり「才能を育成する案内役としてのバラ」の理事長として、若い音楽家らに対する支援活動を続けていた。

 才能はありながら父親がいないなど経済的に厳しい家庭環境にある若手を応援する活動で、筆者も10年ほど前にこの活動を知り、毎年5月のバラの季節には、バラと音楽を楽しませてもらってきた。プールやテニスコート、宿泊施設を備えた敷地1,300坪の豪邸には、定員100人近いホールがあり、古典的なベヒシュタインのピアノが置かれ、ピアノや声楽の若手音楽家の発表の場となってきた。

 音楽家支援のNPO活動を始めたきっかけは、市川山岳会に所属していた診療所スタッフの一人が中国の未踏峰遠征で遭難し、不慮の死に直面した経験だった。残された子供に対する「遺児育英基金」を創設、プール遊びやバラのオープンガーデンに知人を招いて協力を求め、この活動は遺児が成人するまで続けた。

 この活動からバラのオープンガーデンを活用してチャリティー活動を、という発想が生まれる。同じころ、暁星中・高校時代からの友人だった女性が、自分の娘を東京藝大に進学させたいと希望しながら、母親と娘三人の生活を維持する中で、学費などに苦慮している事情を聞いた。

 支援活動のポイントは、コンサートの入場料収入のほか、応援する音楽家を指名して一口3千円を寄付する仕組み。コンサートの準備などは各診療所のスタッフが担ってきた。

 才能育成のために応援してきた音楽家は男女14人。ピアノ、ヴァイオリン、チェロなどの器楽と、ソプラノやテノールの声楽など多岐にわたり、東京藝大、武蔵野音大、東京音大などの出身者だ。音楽家だけでなく、車椅子テニスで世界の舞台で活躍する上地結衣さんも、チーム本間が応援してきた。本間さんは学生時代からテニスやスキーが趣味のスポーツマン。テニス一家で知られる沢松順子さん、和子さん姉妹は大学時代からの友人で、順子さんの娘さんの奈生子さんもテニスグループの一人。

 上地さんへの応援は、こうした人脈を通じて高校二年生の時に出会って、実現した。海外で活躍するためのネックの一つは遠征費だが、たまたま日本航空のトップがドクター本間の診療所の患者だったことから、日本航空が航空運賃を負担する話がまとまる幸運もあった。日本航空のCМに上地さんが登場した背景に、こんなエピソードがあった。

 本間さんの祖父は、新潟県佐渡ヶ島で内科医院を開業していた。ところがスペイン風邪の治療などにあたるうち、自らも38歳で病に倒れ、本間さんの父は、3歳で自分の父親と別れを告げた。15歳の時に母親も失った父はその後、松戸市で歯科医院を開設、87歳まで診療にあたった。「親がいない人に親切にしろ。いじめたりしてはいけない」と幼いころから言い聞かせてきた。この教えがGRCT活動の原点、という。

 庭園には最盛期には700本を超えるバラが植えられていた。アンジェラ、エクスプローラー、テディベア、プリンセス・ドゥ・モナコ、オーバーナイトセンセイション、ピース、芳純、ダイアナ、ニュードーンなど名前を上げたらきりがない。いまも250300種類が育てられていると推定される。

 本間さんはフェイスブックで、ローズガーデンの様子や支援する音楽家たちの活動を、こまめに紹介してきた。ところが昨年1113日を最後に更新されず、我々が応援し最も親しくしてきたピアニスト、近藤和花さんから、本間さんが倒れたことを知らされた。今年5月のローズコンサートは開催されなかった。  

 追いかけるように息子さんから「父は脳幹出血により入院し、現在も闘病生活が続いています」と、父親に代わってGRCTと医療法人の理事長に就任する挨拶状が6月初めに届いた。GRCTの活動も縮小する方針が告げられていた。これまで、支援者の善意だけでなく、本間さん個人が私財を投入してきた活動は、これ以上続けられない、との事情が読み取れた。

 日本では、善意に基づく「寄付文化」は十分に育っているとは言えない。そうした状況の中で、本間さんの活動は若い音楽家にとって心強いもので、支援の輪をさらに広げてほしい、と願ってきた。病により活動が一時休止となったことは残念だが、本間さんの回復と支援活動の復活を祈りたい。

(日刊サン 2023.7.12)

高尾義彦 (たかお・よしひこ)

1945年、徳島県生まれ。東大文卒。69年毎日新聞入社。社会部在籍が長く、東京本社代表室長、常勤監査役、日本新聞インキ社長など歴任。著書は『陽気なピエロたちー田中角栄幻想の現場検証』『中坊公平の追いつめる』『中坊公平の修羅に入る』など。俳句・雑文集『無償の愛をつぶやくⅠ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ』を自費出版。


 

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