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ニュースコラム 高尾義彦のニュースコラム

【高尾義彦のニュースコラム】ミャンマーのいま、日本政府も民主化支援に力を

 ミャンマー(ビルマ)のアウンサンスーチーさんは間もなく78歳になる。彼女がアウンサン将軍の娘として生まれた1945619日は筆者の誕生日でもあり、その縁もあって彼女をめぐる動向にずっと関心を持ってきた。国軍によるクーデターから2年余が過ぎたが、日本の政府や財界は民主化に向けて積極的に動こうとせず、むしろ国軍側に立っているような姿勢が目立ち、苛立ちすら覚える。

 国軍が権力を掌握して2年が経過した今年2月以来、現地からは明るいニュースが届かない。国軍はスーチーさんらの「国民民主連盟」(NLD)が圧勝した2020年の総選挙に不正があったとして2021年2月にクーデターを起こし、武力で民主化運動を圧迫してきた。2年が経過した節目に期待された民主的な総選挙の実施などのかすかな希望も道を閉ざされたままだ。

 国軍は2月1日に非常事態宣言の期間を半年間、延長した。憲法では通常、最長で2年と定めるが、無視された形だ。スーチーさんは首都ネピドーの刑務所に拘束の日々。汚職などの罪で33年の刑期が言い渡され、民主化運動への影響力低下も懸念される。

 国軍による犠牲者も増え続けている。東部シャン州で311日、市民や僧侶ら約30人が国軍に殺害された、と国軍と対立する現地の武装勢力が発表した。また、北部ザガイン地域で民主派の「国民防衛隊(PDF)」関連施設の開所式が国軍による空爆の標的となり、死者は100人に達した、と412日、地元メディアが報道した。

 人権団体、政治犯支援協会AAPPのまとめでは、クーデター後、2940人が犠牲になったという。

 さらに国軍は328日夜の放送でスーチーさんが率いるNLDが「政党資格を失う」と発表した。政党登録をしなかった約40の政党の中にNLDも含まれるという内容で、NLD側は国軍が定めた法律には従わないとして申請しなかったことを認めている。仮に選挙を実施する場合にも、スーチーさんの影響力を排除したい国軍の意思が読み取れる。

 こうした現状を見ていると、国軍に対する怒りはもちろんだが、民主化に向けた支援に動こうとしない日本政府などに疑念がつのる。政府や財界の「不作為」の理由を裏付けた形になったのが、叙勲の問題だった。自民党副総裁の麻生太郎元首相と日本ミャンマー協会の渡邊秀央会長(元郵政相)に、ミャンマー国軍トップのミンアウンフライン総司令官が220日、勲章を授与した。理由は二人がミャンマーの平和と発展に貢献してきた、と発表されている。

 この問題を立憲民主党が衆院予算委員会で取り上げた際、岸田文雄首相は「政府としてその事実を認識しておらず、 答弁を控えたい」と正面から向き合うことを避けた。クーデター以後、政府・自民党は「国軍に独自のパイプがある」として働きかけの意向を示してきたが、この叙勲によって、日本は国軍の協力者との見方が裏付けられる結果になった。

 スーチーさんの「ビルマからの手紙」を毎日新聞に連載した元外信部記者、永井浩さんはネット上の「日刊ベリタ」を主宰し、ミャンマーの報告を続ける。永井さんによると、政府開発援助(ODA)の最大の供与国である日本の企業と国軍系企業をつなぐ役割を果たしてきたのが叙勲された二人の政治家であり、さかのぼると、亡くなった安倍晋三元首相がお膳立てをしてきた、と指摘する。

 在日のミャンマー人たちは叙勲後、日本ミャンマー協会前で「渡邊はミャンマー国軍の共犯者だ」と声を上げ、自民党本部前で「麻生元首相は国軍の共犯者だ」と抗議デモをした。 政府や自民党が主張する「独自のパイプ」は、国軍寄りの形で使用されてきた、との思いが拭えない。

 日系企業では、石油元売り最大手ENEOSホールディングスが天然ガス採掘事業から撤退し、キリンホールディングスも現地のビール事業から撤退したが、400社といわれる進出企業の多くは現地で事業を継続している。制裁措置を打ち出している欧米などと比べ、日本の対応が批判される状況は変わっていない。

 展望が見えない状況の中で、スーチーさんが英国留学当時からの友人、宮下夏生さんが主宰する「ビルマ応援の会」は519日、オンラインで「ミャンマーの平和を祈る集い」を開く。今回が9回目で、浅草・東本願寺を拠点に宗教者らが宗派を超えて参加するほか、根本敬・上智大学教授による現況報告も予定している。宮下さんらはスーチーさん一家の写真展などを開催、クーデター以前には図書館バスを贈る運動を通じて支援の活動を続け、「平和への祈りを続けよう」と呼び掛けている。

 最近になって軍事政権下の2007年、反政府デモの取材中に治安部隊に射殺された映像ジャーナリスト、長井健司さん(当時50歳)が亡くなる直前まで撮影していたビデオカメラが約16年ぶりに遺族のもとに戻ってきた。

 現地ではいまも自由な報道が難しい現実に変わりはないが、日本のメディアの役割も問われていることを自戒しなければならない。

高尾義彦 (たかお・よしひこ)

1945年、徳島県生まれ。東大文卒。69年毎日新聞入社。社会部在籍が長く、東京本社代表室長、常勤監査役、日本新聞インキ社長など歴任。著書は『陽気なピエロたちー田中角栄幻想の現場検証』『中坊公平の追いつめる』『中坊公平の修羅に入る』など。俳句・雑文集『無償の愛をつぶやくⅠ、Ⅱ、Ⅲ』を自費出版。


 

(日刊サン 2023.5.10)

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