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インタビュー

マノア日本語学校 広江奈加子教頭先生

1910年に創立されたマノア日本語学校は、昨年100周年を迎えた歴史ある日本語学校です。現在教頭を務める広江先生は元看護婦さん。得意な英語を活かして日本にいた頃から通訳として活躍し、アメリカに来てからは看護婦業の傍ら日本語の先生として日本語だけでなく日本の文化も紹介してきました。とてもやさしく生徒思いの広江先生に、お話しを伺いました。

ライター :相原光

 

 

子供たちが一生懸命勉強して喜んでくれるのがとても嬉しい

 

敗戦後、英語を学んで通訳から看護婦となる

私はという今日の池上生まれです。3・4才の頃は一時中国に住んでおりまして、その時にインターナショナルスクールに通っていたので、英語を覚えました。女学校時代には第二次世界大戦が始まってしまい、私は父の実家がある島根県に疎開しました。

 

広江家は代々の大地主で、昔は庄屋でし た。父は社寺建築の設計技師であり、美術家で、日本建築の本をたくさん出版してお り、芸術に生きる豊かな趣味の持ち主でし た。

 

広江家は教育熱心で、一族には医者が たくさんいました。私の兄妹は皆教師にな りました。私が看護婦の道に進み、後に先 生になったのは、この影響があったからなのかもしれません。 終戦の3週間後には、 17歳で女学校を 卒業となりました。

 

「学徒動員」のため、軍需工場で働かされていたので、勉強は全然できませんでした。お正月に父が迎えに来てくれて、私はようやく東京に戻ることがで きましたが、東京はどこもかしこも一面の焼け野原で、あまりの変化にとても驚きま した。

 

私はすぐに仕事が見つかり、東芝で働く ことになりました。その頃アメリカの進駐軍のことがどうにも気になりました。「英語のできる人募集」という求人広告を新聞で見かけることがよくありましたし、待遇もとても良いという話を聞きました。

 

それなら敵国の言葉を覚えて、馬鹿にされないようになりたい。英語を勉強して、日本の素晴らし さを伝えたい」と思いつきました。もともと英語は大好きでずっと喋っていましたが、それから夢中で勉強し始めました。津田塾が良いと勧められたので、しばらく通って勉強しました。

 

こうして苦労してマスターした英語をなんとか利用したいと思ったところ、米陸軍病院(現聖路加病院)で女性通訳を募集し ていました。私は無事に試験をパスして進 駐軍の下で働くことになったのです。 病院で働いているうちに、私も看護婦になりたいと思うようになりました。

 

婦長さんに相談したところ、私のスケジュールを夜 勤にして下さり、昼間は東京看護学校へ通 学できるように取り計らって下さいました。 やっとのことで免許が取れると、婦長さ んは私を看護婦として再入社の手続きをし てくれました。私はアメリカの病院で、今度はアメリカ式看護法を学びました。

 

アメリカの看護婦は、医師と同じように専攻があり ますが、日本の看護婦は全部ー緒。私はアメリカの産婦人科 (0.8. GYN) の資格が欲 しかったのです。その頃一時ハワイに来て、医学用語の勉強したんですよ。そしてなん とかハワイ州の免許を取得することができ ました。

 

 

ハワイがどこにあるか知らないアメリカ人

一度日本に帰って、また軍の病院で少し 働きました。日本でそのまま看護婦としてやっていくつもりでしたが、そこで主人と出 会ってしまいました(笑)。主人はホノルル 生まれの韓国系三世です。主人はマリーン・コウ(アメリカ海兵隊)でしたので、結婚してから各地を点々としました。

 

最初はカルフォルニアにいて、サンディエゴやサンフラ ンシスコなどに住みましたね。 私はカルフォルニアが大好きなのです が、住んでいると色々なことを言われます ね。

 

「私はジャップが大嫌いだ。私の兄はジ ャップに殺された」とかね。色んな人種の人がいますから仕方ないですよ。 「私は誰も殺したことはありません。戦争にも関わっていません」と私は答えましたが。

 

ハワイに住んでいる方はそれ程感じない と思いますが、東海岸や中西部に行くと、日 系人なんて見たことないという人もたくさ んいますし、ハワイがどこにあるか知らない人も大勢います。 カンサスシティに泊まった時、免許証を 見せたら「ハワイはどこだ」と聞かれまし た。

 

「ハワイはアメリカの50番目の州の小さ な島です」と答えると、”Oh, I don’t think so”と言われました。主人がパールハーバ ーは知ってるかと尋ねると、バールハーバ ーは知っているんです。田舎の人は、いまだにハワイがどこか知らない人はいると思いますよ。

 

軍の病院で働いていた時も、白人の患者さんの部屋に血圧を測りに行ったとこ ろ、 「あなたはジャップだから出ていって欲 しい」と言われたこともありました。あの頃はそういうことはよくあったんです。日本でもアメリカでも言われたことがあります。

 

アメリカでは隣人がわざわざ私の家にや ってきて “Where did you learn English? ” と聞くんです。私も “Where did you learn English? “と聞き返した ら、びっくりして逃げて行ってしまいました (笑)。

 

 

ハワイに落ち着き、看護婦の仕事と通訳で大忙しの日々

ハワイに来たのは60年くらいです。私は最初クアキニ病院の産婦人科に勤めたのが最初です。クアキニ病院は懐かしいです ね。子供が小さかった頃は夜勤をしていま した。夜勤って案外ラクなんですふ朝の勤 務の方が大変ですよ。お医者さんも来ます し、手術もありますし、レポートなどもたくさんあります。

 

夜は皆帰ってしまいますから静かなんですよ、患者さんも比較的に落ち羞いていますし。私はいつも子供たちが学 校から帰ってきてから出勤していました。 70年代に入ると日本の経済が強くなって、ハワイに来る日本人がとても増えまし た。

 

観光客だけでなく、日本の企業も進出 してきたので駐在員もた<さんいましたし、ハワイで結婚式をするのも人気がありまし た。日本人の患者も多くなり、適訳をする機会も増えて、夜遅くまでお手伝いをした ものです。

 

ある時、ハネムーンのカップルのご主人が突然倒れてしまい、旅行会社から通訳を 頼まれて病院に付き添ったことがありまし た。ご主人は夜勤明けで飛行機に乗ったそうで、疲れていたんでしょうね、意識不明で大変な状態です。

 

薬のアレルギーがあるかどうかを奥様に尋ねると、「昨日結婚したばかりでそんなこと分かりません」と彼女は泣き出してしまいました。 確かに、結婚したばかりで、相手にどんなアレルギーがあるかなんて分かりませんよね。病気にでもならないと薬の話なんて しないと思いますよ。

 

翌日すっかり元気になったのですが、奥様はすぐに退院するとおっしゃるんです。本 当はもう少し様子を見た方が良いと勧めた のですが、「3泊で帰るので、お土産を買わなきゃならない。ひとりでは言葉も通じないし、どうすればいいか分からないから主人がいないと困る」と言うんです。それで昼過ぎには退院していきました。

 

それから3年くらい経って、私の家に子 供を連れた人がやってきたんです。その夫妻が3歳くらいの子供を連れて、わざわざお礼を言いに尋ねてきてくれたんですよ。と ても嬉しかったです。 女性一人でサ—フィンに来て足を骨折し てしまった方の通訳をしたこともありまし た。

 

手術が必要だったのですが、その頃は海外旅行保険がなかったので、お金の手配 を手伝ったり、日本の家族に知らせたり。その方は家に泊めてあげました。日本からお兄さんが来てくれて、手術も無事に終って良かったです。

 

お土産を買うのも手伝いま したし、日本人は必ずお土産を買わなくちやならないんですよね(笑)。餞別を貰った らお返しをしなければならないから。あの頃は 1 万円札が簡単に両替できなかった ので、できる銀行に連れていったりしまし た。

 

そこまでする必要はないかもしれませんが、私は看護婦でしたからやはり責任も ありますし、困った時はお互いさまですからね。 彼女は日本からお礼の手紙をくれて、嬉 しかったですね。担当した先生に詞訳して読んであげたら、先生もとても喜びました。

 

そんな風に日本人の患者さんがとても増えてきたので、カイルア病院から英語の医学用語を日本語で教えるよう頼まれまし て、週2回クラスを担当しました。また、クイ一ンズ病院やクアキニ病院でも指導を頼まれ、自分で医学用語のテキストブックを制 作しました。

 

昼間は病院で働き、夜は日本 語の先生と大忙しでしたが、とても楽しか ったです。日本語を教えるようになって、やはり資格を取った方が良いと思い、ハワイ大学で日本語教師の国際免許を取得しま した。 今は日米両語できる人が多くなったので、良いことだと安心しています。

 

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