アートセラピーとは、描画や造形などの芸術的な表現によって心身の不調や病の改善を図る心理治療法です。近年の研究では、自由な芸術表現によってトラウマを癒したり、うつなどの精神疾患の症状を緩和するほか、身体の健康維持にもプラスの効果があることが判っています。今回の健康特集では、さまざまなアートセラピーの方法や具体的な効果、自宅でできるアートセラピーなどをご紹介しましょう。
アートセラピーとは
アートセラピーには「芸術」と「心理療法」という2つのルーツがあります。さまざまな定義がありますが、被験者がアート作品を作る過程や完成したものから、セラピストが被験者の言葉の外にある考えや意識下にある問題や深層心理などを読み取る、というものが一般的です。質問をしたり話し合うことで、被験者は抱えているストレスやトラウマなどに立ち向かい、自己認識を高めます。創作をすることで生きる上でのポジティブな喜びを知ることを目的としたり、創作する過程そのものを心の癒しとする場合もあります。さまざまな形のアートが表現の媒体とされ、スケッチ、ペインティング、コラージュ、写真撮影、彫刻などが用いられます。
また、作品を鑑賞して精神的な癒しを得ることもアートセラピーと呼ばれる他、ダンス、音楽、演劇、詩などを使う「クリエティブセラピー」もアートセラピーの1つと定義されることもあります。
起 源
アートセラピーの起源となる説を提唱したのは、精神分析医のカール・グスタフ・ユング(1875−1961)でした。ユングは、人間の芸術表現という行為が混乱した精神の治療に有効なことや、それをユングが自ら実践してみることで「想像と創造性からなる芸術表現が、人間の精神の統合や精神的成長に大きなを役割を果たす」ということを発見しました。
1940年代後半、イギリスの芸術家エドワード・アダムソン(1911-1996)がアートセラピーを体系化し、精神的な病を抱える人々の治療に用いました。
アメリカでは1960年代から盛んになり、ベトナム戦争に従軍し帰国した兵士や、障害のある子どもたちを対象にアートセラピーが行われました。
治療の対象
アルツハイマーによる記憶喪失や、脳卒中の後遺症、外傷性脳損傷、心的外傷後ストレス障害(PTSD)、鬱などの精神的な不調を抱える人、学習障害、行動障害、身体的な障害などのある人、慢性的な病を抱える人、余命を宣告されている人など、さまざまな症状や環境にある全ての年齢層の人々が対象になります。
また、自己啓発を目的とする人が受けるアートセラピーもあります。被験者には、アートに関する経験や専門知識は必要ありません。病院、学校、デイケアサービスなどさまざまな施設で、個人だけでなく、グループ、夫婦、家族などの単位でも行われます。
目 的
被験者の精神的な問題の解決の糸口を見つけたり、問題を緩和することで、生きる上での肯定的な喜びを見出します。また、被験者のパーソナリティを分析したり、自己啓発が目的で行われることもあります。
目的の詳細は状況によって変化します。専門的な知識と資格を持つアートセラピストとコミュニケーションをとりながら創作することで、被験者が自覚のなかった不安や葛藤、喜びなどを把握し、自己分析をします。
効 果
混乱した思考や葛藤を整理する
日々の生活の中でストレスを感じ続けると、自分の目標やこれから何をすべきなのかが分からなくなることがあります。描画をしたりコラージュなどでシンボルを使い、自分自身や現在置かれている環境を可視化することで思考が整理されやすくなります。
心理的な浄化を得る
造形や描画によって自由に自己表現をすることで、それまで心の内に抑え込まれていた感情や考えが目に見える形で表れます。言葉での表現が難しかったり、自覚がなかった感情を解放して気持ちを楽にすることで、心理的な浄化が得られます。
意欲や興味を呼び戻す
アートセラピーでは、筆で感じる画用紙の質感や、コラージュで紙をちぎる時の手触り、彫刻をするときにナイフから感じる手応えなど、素材や道具に直接触れることで刺激を感じることができます。触覚に刺激を与えることで無意識下にポジティブな影響を及ぼし、子供の頃や過去に感じられた興味や意欲を呼び戻すことができます。
右脳を活性化し、心のバランスを保つ
日常生活や仕事の中で、通常、主に使われているのは論理を司る左脳です。左脳のみが活性化すると、ストレスを感じたり、眠りが浅くなったりすると言われています。アートセラピーで感情を司る右脳を活性化することで、バランスの良い精神状態を保つ効果が期待できます。
合併症や不眠症の軽減
長期入院中の人を対象に、アートプログラムを取り入れる病院が多くなっています。何かを創作するプロセスは、しない患者に比べて合併症を起こしにくくなったり、不眠になりにくくなるといわれています。
安心感を高め、社会性を保つ
デンマークのアールボーグ大学の研究者らが2017年に発表した論文では、病院にアート作品を展示することで患者の安心感が増し、病院外でも社会性を保つ一助になるとされています。別の研究では鎮痛剤の使用量が減り、回復までの時間も短くなることが分かったということです。
(出典:https://www.tandfonline.com/doi /full/10.1080/17482631.2016.1267343)
癌患者の精神的苦痛を緩和
中国の深セン大学の研究者らが2018年に発表した論文によると、約750人の乳がん患者たちにスケッチ、絵画、陶芸、カード作りなど幅広いアート・プログラムに参加してもらう実験を行った結果、多くの患者が自己認識を回復させ、癌の進行による精神的な苦痛や疲労を緩和し、将来への希望を得たということです。
(出典:https://www.tandfonline.com/doi/abs/ 10.1080/07347332.2018.1506855?journalCode =wjpo20)
コラム アートセラピーの名付け親、エイドリアン・ヒル
イギリス人の芸術家、エイドリアン・ヒル(1895−1977)は「絵を描くことは精神病患者の治療に応用できる」とし、それを説明するために初めて「アートセラピー」という用語を使った人物といわれています。
ヒルは結核治療のサナトリウムに入院していたのですが、その間、スケッチや絵画などの創作を他の患者にも勧めた結果、アートセラピーの治療効果に確信を抱いたといいます。ヒルは「創作しながら心を没頭することで、しばしば抑圧された患者の創造的エネルギーが開放される」ことを発見しました。
さまざまなアートセラピー
自分でできるアートセラピー
ここでは、自分でできる簡単なアートセラピーをいくつかご紹介しましょう。ストレスを感じている時、落ち込んでいる時などに実践してみてはいかがでしょうか? (※うつ病などの精神病に罹患されている方は、専門家に相談してから行ってください)
トラウマの解消
●自分が安全と感じる場所を描き、意識下で安心できると感じている場所を見出してみます。
●手近なもので箱庭を作り、それぞれのものが何を象徴しているかを考えてみます。
緊張や落ち込みからの回復
●雑誌や広告などの中から、直感的に気持ちが落ち着くと感じる部分を切り取り、紙やボードに貼り付けてコラージュを作ってみましょう。落ち着く部分をピックアップして組み合わせていくプロセスは、気持ちをリラックスさせてくれます。
●自分に起こった面白い出来事を漫画を描いてみましょう。上手いか下手かを意識せず自由に描くことで、気持ちが明るく、軽くなっていきます。
モチベーションを上げる
●雑誌や広告などを見て、直感的にモチベーションが上がると感じるものを切り取り、紙やボードに貼り付けていきます。できたコラージュから、自分が何に興味があるか、何をしたいと思っているのかを分析してみます。は自分が変えようとしていることを示している可能性があります。
自分のパーソナリティを知る
●自分の良い面、悪い面、理想の自分など、さまざまな自画像を描いてみます。この作業では、それまで気が付かなかった、あるいは意識していなかった自分の人格や感情を探ることができます。
●今までの人生を時系列で振り返り、書き出してみます。絵を加えてもよいでしょう。この作業によって、人生のターニングポイントや重要と感じた出来事を客観的に捉えることができます。
●好きな箱にコラージュをしたり絵を描いたりして、自分自身をイメージした「箱」を作ってみましょう。できた箱に、自分にとって価値のあるものを象徴するアイテムを入れていきます。
●興味のある野生動物を何匹かランダムに描いてみます。そして、その動物を選んだ理由を考えてみましょう。
●自分を樹木に見立て、それを描き出してみてください。根の部分は、自分によい影響を与えるものは何かを、葉の部分は自分が変えようとしていることを示している可能性があります。
<参考> Expressive Art Workshops “100 Art Therapy Exercises” https://www.expressiveartworkshops.com/ expressive-art-resources/100-art-therapy-exercises/
セラピストと一緒に行うアートセラピー
家屋、樹木、人物画法テスト (HTPテスト:House-Tree-Person Test)
このセッションは、被験者に家屋、樹木、人を描いてもらうことでパーソナリティを査定します。描かれたものの遠近法や比率などを得点化し、知能指数を算出することも可能です。描かれた家屋、樹木、人には、以下の項目が投映されやすいと考えられています。
【家屋:家庭環境の認知と感情】 自己像が反映した現実、他者との関わり、情緒的な安定度、性的な発達度など。
【樹木:無意識下の自己像】 深い部分にある感情や抑圧されている感情で、再検査をした場合の変化が最も少ない項目とされています。
【人:現実の自己像と理想の自己像】 自分にとって重要な人物や、一般的な人間に対する認識が投影されるため、自己の投影、警戒心、抵抗などが生じやすく、描画が最も難しい項目。
プロセス
対象となるのは3歳以上で、テストの時間は150分間以内とされています。被験者は家、木、人の順番に一つずつ描画します。人は全身を描くように指示されます。また、絵が上手く書けるかどうかを調べるわけではないことや、できるだけ上手に描いてもらうこと、写生ではないことなど 被験者はクレヨンなどで家、木、人を描き、描いた後、それぞれの絵についてセラピストが質問をします。このテストのために作られた「PDI(Post Drawing Interrogation)」という一定の質問をしたり、(欧米では)資格を持ったアートセラピストが自分で作った質問をすることもできます。次に、被験者は同じ絵を鉛筆かペンで描くように言われ、セラピストはその絵について最初の絵の時と同じ質問をします。質問によって自由な言語表現を促すことも、解釈の方法の1つとなります。
質問の例
【家屋について】
・ここに住んでいるのは誰ですか。
・住んでいる人は幸せですか。
・家の中では何が起こっていますか。
・夜になると、それはどうなりますか。
・その家を訪れる人々はいますか。
・その家に住む人々は、この絵に何を加えたいと思っていますか。
【樹木について】
・この木はどんな木ですか。
・樹齢は何年ですか。
・季節はいつですか。
・この木を切ろうとした人はいましたか。いたとしたら、それは誰ですか。
・近くに何が生えていますか。
・この木に水をあげているのは誰ですか。
・その木には、生きるための日光が十分に当たっていますか。
【人について】
・この人は誰ですか。
・この人は何歳ですか。
・何をするのが好きで、何をするのが嫌いですか。
・この人を傷つけようとした人はいましたか。いたとしたら、それは誰ですか。
・誰がこの人を気にかけていますか。
MARI検査 (The Mandala Assessment Research Instrument)
このセッションでは、曼荼羅をシンボルとして使用することで、被験者が本当は何を求めているか、何を問題と感じているかなどの深層心理を探ります。人類史上、シンボルは文化や言語よりも前に作られたものです。シンボルは私たちの生活の一部であり、知らないうちに精神にも影響を及ぼしています。例えば、何か新しいことを始めようとしている人は、数あるシンボルの中から「上向きの三角形」を選ぶ傾向にありますが、それを応用したのがMARI検査です。
プロセス
被験者はまず、さまざまな種類の曼荼羅のカードから1枚を直感的に引くよう指示されます。セラピストはここで、被験者が選んだ曼荼羅の中の図形やパターンとパーソナリティーとの間にある相関関係を読み取ります。その後、45色のカードから選択したシンボルに合うと感じる色を選択します。選択された色は、シンボルに感情、認知、精神、身体に関連した解釈を加味します。セラピストは、曼荼羅と色のセットから被験者の深層心理を分析します。
コラム ユングの曼荼羅
ユングは曼荼羅について「人格の中心であり、エネルギー源であり、全てのことが整理されている精神的中核の1つ」と説明しています。1912年、ユングは父のように慕っていた心理学者のフロイトと学問的な意見の相違が原因で決別しました。しかしその後、どうすれば良いのかが分からなくなり、1916年頃まで精神状態が不安定になったといいます。
そんな中、ユングは自分の内湧き上がってくるものとして多くの円形を描く日々を送っていました。精神的に安定している時はきれいな円が描け、不安的な時に描く円は歪んだものになりました。ユングは、最初は円形を描いてしまう理由が自分でもわからなかったのですが、そのうち、円形を描くことが自身の心の治療に役立っていること、そして描いているものが曼荼羅に似ていることに気が付きました。そして、回復期にある精神病患者に自由に絵を描かせてみたところ、曼荼羅に似た図を描く人が多く、円を始めとした図形が患者の心にあるものの象徴として自然に生じてくるのを発見したのです。ユングは、曼荼羅状のものを描く人は精神的な分裂の危機を感じており、無意識にそれを回避し、精神を統合しようとする深層心理の働きとして生じたものと捉えました。
ユングの曼荼羅(左)とチベット仏教の曼荼羅
(日刊サン 2020.2.25)
【参考URL】2020年2月12日アクセス
・心理学用語の学習 https://psychologist.x0.com/index.html
・Shun Uchimura(2016)「深層心理学(2)」https://commono.co.jp/2016/12/21/depth-psychology-2/
・アートセラピーパーク https://www.artiro.com
・Wikipedia「アートセラピー」https://ja.wikipedia.org/wiki/アートセラピー
・Psychology Today “Art Therapy” https://www.psychologytoday.com/intl/therapy-types/art-therapy
・Official MARI website https://www.maricreativeresources.com/what-is-mari/
・Kendra Cherry (2019).“How Art Therapy Is Used to Help People Heal” https://www.verywellmind.com/what-is-art-therapy-2795755
・Yong Tang, Fang Fu, Hua Gao, Li Shen, Iris Chi & Zhenggang Bai(2017).“Art therapy for anxiety, depression, and fatigue in females with breast cancer: A systematic review“ https://www.tandfonline.com/doi/abs/10.1080/07347332.2018.1506855?journalCode=wjpo20
・Stine L. Nielsen ORCID Icon, Lars B. Fich ORCID Icon, Kirsten K. Roessler & Michael F. Mullins (2016). “How do patients actually experience and use art in hospitals? The significance of interaction: a user-oriented experimental case study” https://www.tandfonline.com/doi/full/10.1080/17482631.2016.1267343
・Benioff Children’s Hospital “Art Therapy” https://www.ucsfbenioffchildrens.org/services/art_therapy/