竈門炭治郎(かまど・ たんじろう)を主人公とする「鬼滅の刃(きめつのやいば)」。現代日本を代表するアニメとして、数々の記録を塗り替え、絶大な人気を誇る作品です。大正時代が舞台なので、いわゆる時代劇とはジャンルが違うのかもしれませんが、主役は炭治郎ら躍動する剣士たちです。
わたしも一部の作品をDVDで観ましたが、なるほどファンの熱狂がよく理解できます。巧みな脚本、テンポのいい物語の展開が、こどもたちに限らず幅広い世代を引きつけるのでしょう。
ところで、こどもたちが外で「チャンバラごっこ」をして遊ぶ姿などは、ついぞ目にしたことはありません。広がる新型コロナウイルス感染の影響もあるのでしょうが、コロナの前から、サッカーや野球に興じるこどもたちは見かけても、彼らの間では、チャンバラ文化はとっくに消え失せたのでしょうか。
わたしが徳島や佐賀で小学校時代を過ごした1950~60年代は、テレビや映画で時代劇が全盛期。テレビ漫画の「赤胴鈴之助」や忍者ブームを巻き起こした「隠密剣士」を観ないことには、次の日の級友たちの話題についていけません。東映の時代劇の熱烈なファンだった父は、ごひいきの市川右太衛門の「旗本退屈男」や、美空ひばりと大川橋蔵のゴールデンコンビの「笛吹若武者」などがかかる映画館にわたしたち兄弟を連れていき、下唇をまきこんでスクリーンにくぎづけでした。
当然、こどもたちの遊びの中心はチャンバラ。輪ゴムで髪の毛を縛ってちょんまげを結い、風呂敷の紫頭巾をかぶり、新聞紙を丸めてつくった刀を、父の浴衣(ゆかた)の兵児帯(へこおび)に刺せば、はい、豆剣士のできあがり! 幼稚園や小学校低学年のこどもたちが、呂律(ろれつ)もあやしいのに「おのおのがた、いざ、お立合い」「おぬし、お覚悟召されよ」などといっぱしにサムライ言葉をあやつりながら、日暮れも知らずに遊んだものでした。
しかし、こどもたちの間で最大のスターだったのは、なんといっても戦国時代の終わりに生まれた、剣豪・宮本武蔵でした。東映映画の中の主役はもちろん、中村(萬屋)錦之助。
故吉川英治さんの名作では、武蔵が奈良・宝蔵院流の槍や、鎖鎌(くさりがま)を繰り出す宍戸梅軒(ししど・ばいけん)らとの「他流試合」に臨みますが、こどもたちをもっとも魅了したのは、武蔵が苦心の末に編み出した「二刀流」。いまでは大リーグの大谷翔平選手の代名詞ですが、元祖二刀流はもちろん武蔵。近所の遊び仲間のうちでも、武蔵はなにしろ別格の人気で、上級生でないとなかなか二刀流は使わせてもらえませんでした。
わたしは人前で話をする機会などに、武蔵を「どこの名門道場にも通わず、他流試合で技量を磨き、独自の着眼点で、二刀流という新剣法を編み出した。武蔵こそ、現代日本に求められる、理想のアントレプレナー(起業家)ではないか」と評することがよくあります。でも、ある大学の授業で「武蔵を知っている人は?」と尋ねたら、五十人ほどの学生さんのうち手を挙げたのは三、四人でした。ああ、武蔵は遠くなりにけり……。
十年ほど前、関門海峡に浮かぶ巌流島(船島)を訪ねました。武蔵と最大のライバル佐々木小次郎との決闘の場面を切り取った銅像が立っています。
潮風に吹かれながら、馬関(ばかん)の急潮に耳を傾けていると、吉川英治さんの小説のラスト、「雑魚(ざこ)は歌い、雑魚は踊る。けれど、誰か知ろう、百尺下の水の心を。水の深さを」という名文句が浮かんできます。
ところで、豆剣士だったわたしの後日談を少々――。
「武士道は死ぬことと見つけたり」で知られる『葉隠(はがくれ)』の伝統を継ぐ佐賀の名門道場・霊雨堂(れいうどう)に小学校四年生のときに入門しました。しかし、先生に褒められるのは「君は詩吟の声がいいね」というくらいで、肝心の剣道はいっこうに腕が上がらず、へなちょこ。
ある日、佐賀市内の神社の境内で神前試合があり、同級生で薬局の娘だったC子ちゃんが応援に来てくれました。試合中も彼女のことが気になって、「隙(すき)あり!」。あわれ、たちまち一本を打ち込まれて、万事休す。
C子ちゃんはいつの間にか、境内からいなくなっていました。「小次郎敗れたり」。六十年たったいまでも、情けない思い出がこみあげてきます。
(日刊サン 2022.2.11)
木村伊量 (きむら・ただかず)
1953年、香川県生まれ。朝日新聞社入社。米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員、ワシントン特派員、論説委員、政治部長、東京本社編集局長、ヨーロッパ総局長などを経て、2012年に代表取締役社長に就任。退任後は英国セインズベリー日本藝術研究所シニア・フェローをつとめた後、2017年から国際医療福祉大学・大学院で近現代文明論などを講じる。2014年、英国エリザベス女王から大英帝国名誉勲章(CBE)を受章。共著に「湾岸戦争と日本」「公共政策とメディア」など。大のハワイ好きで、これまで10回以上は訪問。