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【My Destination】第3章 「再挑戦」 引退(Part1)
(前回まで)「世界をまたにかけて働く」ことを幼少からの夢としていた私は、意と反して損害保険会社に入社。順風満帆な生活を送っていたが、会社が急きょ経営破たん。その後の人生を切り開くために渡米しMBAを取得。その後メガバンク勤務を経て、経営企画マンとしてのキャリアを積むため、渋谷にあるベンチャー企業の門を叩く。入社から1年半後、子会社の立て直しのため転籍、副社長に就任した。
2008年10月末。数々の嬉しさや悔しさがいっぱい詰まった江戸川区葛西臨海球技場。目の前で、私率いるラクロスチーム“新鋭”シュガーレイズが、大方の予想を覆して敗戦を迎えようとしていた。それを、私はまるで他人事であるかのように茫然と眺めていた。我に返ったのは、試合が終了しグランド中央での整列を促された時であった。様々なもどかしさはあったものの、敗戦につきものの悔しさはこみ上げてこなかった。自分の中で、「引退」という決意が固まった瞬間であった。
シュガーレイズは、2003年に元々私が所属したシルバーバックスから袂を分かつ形で産声をあげた。2004年に私がMBAを取得し帰国するとなると、シルバーバックス・シュガーレイズ双方から声がかかった。どちらとも決め難かったが、最終的に、アメリカまでわざわざ電話でラブコールを送ってきたシュガーレイズに決めた。そしてその年に東日本ラクロスクラブチーム2部リーグに加盟。毎年順位を上げていき、2007年には2部リーグ優勝に手が届くところまで成長してきた。そのような上昇気流の中、万を期して私がキャプテンに推挙された。
どのチームも往々にして経験することなのだが、チームは強くなるためにメンバー補強を行う。しかし、その補強による新加入メンバーが引き金となってチームワークに悪影響を及ぼすことがある。シュガーレイズも然り。旗揚げ以降、大胆な人員補強を行ってきた結果、不協和音が聞こえるようになっていた。そのようなチームをまとめるには強力なリーダーシップが求められた。
ラクロスに復帰してからの私は怪我との闘いだった。故に、私のキャプテンシーはプレーで周りを引っ張るのではなく、戦術と巧みなチーム運営であった。端的に言うと私のやり方で試合に勝てる、ということだ。それまでも幹部として私のやり方で強くなってきたことがチームメンバーには認知されていた。不満分子も勝つためにチームに所属しているのだから、彼等のフラストレーションも押さえこむことができた。
シーズン前の下馬評では我々は優勝候補の一角。ところがシーズンが始まると、負けが先行。すると、それまでくすぶっていた不協和音も再燃し負のスパイラルに入り始めた。そんな形で、最終戦を迎えていた。
私自身はこのようなシナリオは十分想定出来ていた。実は、一番信頼していた腹心が人間関係のもつれから、シーズンイン早々にチームを去ったのである。彼と私は以前のシルバーバックス所属時からのコンビで、その時は彼がキャプテンで私が副キャプテン。アメリカまで電話してきたのも彼だった。必死に慰留したものの叶わず彼は去った。そして私は意気消沈してシーズンを送り、多くのことを一人きりで悩んできた。
(次回につづく)
No. 199 第3章 「再挑戦」
Masa Kokubo
1995年中央大学法学部卒。損害保険会社勤務後、アイオワ州の大学院にてMBAを取得。その後、メガバンク、IT企業を経て、現在はグローバル企業にて世界を相手に奮戦中。趣味はサーフィンとラクロス。米国生活は通算7年。
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