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【My Destination】第3章 「再挑戦」 社長の大戦略
(前回まで)「世界をまたにかけて働く」ことを幼少からの夢としていた私は、意と反して損害保険会社に入社。順風満帆な生活を送っていたが、会社が急きょ経営破たん。その後の人生を切り開くために渡米しMBAを取得。その後メガバンク勤務を経て、経営企画マンとしてのキャリアを積むため、渋谷にあるベンチャー企業の門を叩く。入社から1年半後、子会社の立て直しのため転籍、副社長に就任した。
2008年6月末。QAM社としての第1号案件の継続を審議するため緊急招集された臨時取締役会。開会前から議場は異様な空気に包まれていた。「副社長、私逃げ出したいです」。取締役会の事務局を務める私の部下がプレッシャーに耐えられず、そう口にした。「そう言うな。必ず良い方向に決着がつく」。私はそう返しつつも、この議論の先に明るい兆しが無いことを人一倍理解していた。我々が獲得した第1号案件は、採算性が極めて低く、加えて社員の疲弊が著しい。一般的には、この案件は辞めるべきだ。しかし、辞めてもその代わりとなる仕事はない。そうなると、コストだけ垂れ流す経営に逆戻りだ。人事と財務を統括する私にとって、“進むも地獄、退くも地獄”の心境であった。
QAM社の取締役会は、常勤の取締役3名(ここには社長や私が含まれる)と3名の非常勤取締役(親会社の社長ら)、そして非常勤の監査役2名(うち1名は親会社に在籍していた際の上司であった常務)で構成されている。開会するやいなや白熱した議論が展開された。案件継続派は、この案件のクライアントであり会社の最重要取引先でもあるNTT東日本とのリレーション維持を軸に理論を展開した。対する反対派は、会社の財務への影響と従業員の心身への悪影響などを説いた。どう転んでも社にとっての利が見えない私はなかなか口を開けずにいた。そして開会から3時間ほど経ったところで、それまで無言を貫いた社長がついに口を開いた。
「私はこの案件を辞めてはいけないと考えている。私の真の狙いは、NTT東日本の基幹システムである“F”をわが社グループに設置してもらうことだからだ」
議場は静まり返った。NTT東日本の基幹システムFは門外不出のシステムだ。このFは同社のコア業務を網羅しており、特にインターネット回線の契約業務が行えるというまさに同社の動脈のような役割を果たしているものだった。それがわが社グループに設置される、ということは、我々がNTT東日本から真に信頼されたパートナーである証であるだけでなく、NTT東日本から半永久的に仕事がもらえる、ということを暗示していた。
「そのためには、私はブラック企業の社長という汚名を喜んで着ますし、QAM社は捨て駒になっても構いません」と結んだ。親会社の社長が「お前、それでいいのか?」と尋ねた。社長は「進退かけます」と言い切った。
その時私は思い出した。社長は、前職の家電量販店(即ち、半年前まで痴話喧嘩をしていた元の大株主)を一流企業にのし上げた陰の立役者であり、「天下の策士」とも呼ばれていたことを。
この時社長が口にした“F”の1号機は、それから半年後に納入された。そして、それが、現在に至るQAグループの事業基盤を盤石にさせたのである。
(次回につづく)
No. 198 第3章 「再挑戦」
Masa Kokubo
1995年中央大学法学部卒。損害保険会社勤務後、アイオワ州の大学院にてMBAを取得。その後、メガバンク、IT企業を経て、現在はグローバル企業にて世界を相手に奮戦中。趣味はサーフィンとラクロス。米国生活は通算7年。
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