アジア人と見れば、見境なく不条理な暴力を加える。米国で、アジア人に対する「憎悪犯罪(ヘイト・クライム)」が後を絶ちません。
新型コロナウイルスが世界に広がり、米国で55万人を超す死者が出ているのは中国のせいだ、とするレトリックと固定観念。それをあおったのは、「中国ウイルス」と繰り返してやまなかったトランプ前大統領であり、「武漢ウイルス」と呼んだのはポンペオ前国務長官でした。米国の寛容さは失われ、なお分断の傷は深いと感じます。
第二次世界大戦の前夜、日系米国人や、日本や中国からの移民を「敵性外国人」と見るような、いわれのない偏見と誹謗(ひぼう)が広がり、排斥運動が盛り上がった暗い時代がありました。
ずいぶん前のことですが、米国滞在中、カリフォルニア州選出の民主党連邦下院議員だったノーマン・ミネタ氏(元サンノゼ市長、後に商務長官、運輸長官を歴任)に話をうかがったことがあります。
ミネタ氏の両親は静岡県出身の移民で、日系2世の彼はサンノゼで生まれ育ちました。1942年5月29日、一家7人は着替えや身の回りのものだけをあわただしく詰め込んだ荷物を両手に、サンノゼ駅に集められ、列車に乗せられます。10歳のミネタ少年は野球のミットだけを抱えて故郷を離れました。「スキッピー」という名の、ごわごわ毛のテリアが後に残されました。「悲しくて、悲しくて、胸が張り裂けそうだったよ」。ミネタ氏は目に涙を浮かべて、遠い日の記憶をたどりました。
一家は仮集合所を経て、ワイオミング州ハートマウンテンに着きます。猛烈な砂嵐が襲うバラックの収容所で、約1万2千人が不自由な暮らしを強いられたのでした。「わたしが父の涙を見たのは日本軍による真珠湾攻撃以来、それが二度目だった」とミネタ氏は語りました。太平洋戦争中、米政府によって収容された日系米国人は全米で12万人にのぼったのです。
レーガン大統領が強制収容された日系米国人に公式に謝罪し、現存者に1人当たり2万ドルの賠償を行ったのは1988年。戦争が終わって33年の歳月が流れていました。バイデン大統領は今年2月、声明を出して、「米国史で最も恥ずべき時のひとつ」と改めて過ちを謝罪しました。
アジア人やアフリカ系の黒人ら「有色人種」に対する蔑視や差別は、米国にとどまりません。ヨーロッパではもっと根が深いように思います。
極東の小さな島国・日本が19世紀末の日清戦争に勝利して「強国」の一角として頭をもたげてくると、黄色人種である日本人に対するいびつな警戒論である「黄禍(こうか/おうか)論=Yellow Peril」が広がります。その音頭をとった人物が「カイザー」ことドイツ皇帝ウイルヘルム2世。いわゆる三国干渉に際して、日本への憎悪に満ちた「黄禍の図」をロシア皇帝のニコライ2世に献呈し、西洋世界にセンセーショナルな反日感情が巻き起こったのでした。
では、日本人には他人種、とくにアフリカ系の黒人らに対する偏見がひそんではいない、と言い切れるでしょうか。私の子ども時分を振り返っても、絵の具やクレパスの「肌色」を疑ったことなどありません。テレビCMで「美白」化粧品が、なんのためらいもなく広告されている。「白」が「黒」より美しい、という価値観がいつのまにか、心の底にしみついている気がしてなりません。
米国の医薬品大手のジョンソン・アンド・ジョンソンは、人種差別に反対する「BLM(Black Lives Matter)」運動の広がりを受けて、昨年6月、美白効果をうたう製品の販売中止に踏み切りました。日本の大手化粧品メーカーの花王は「美白」「ホワイトニング」といった表現をすべてのブランドで使わないことを決めたそうです。
さて、米国のミネタ氏との後日談――。サンフランシスコから首都ワシントンに向かう夜間飛行の航空機(通称「Red Eye」)で偶然、隣同士の席になりました。彼は特権が大嫌いで、いつも飛行機はエコノミー。
「レオンが乗っているから、ちょっと待ってろ」とウインクすると、ファーストクラスに搭乗していたレオン・パネッタ大統領首席補佐官(後に国防長官)から高級赤ワインを一本せしめてきて、二人で乾杯。「レオンはイタリア移民の子だから、彼が選ぶイタリアワインは間違いないんだよ」。ふくよかなワインの香りととともに、屈託のない彼の笑顔を、いまも時々思い出します。
(日刊サン 2021.04.16)
木村伊量 (きむら・ただかず)
1953年、香川県生まれ。朝日新聞社入社。米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員、ワシントン特派員、論説委員、政治部長、東京本社編集局長、ヨーロッパ総局長などを経て、2012年に代表取締役社長に就任。退任後は英国セインズベリー日本藝術研究所シニア・フェローをつとめた後、2017年から国際医療福祉大学・大学院で近現代文明論などを講じる。2014年、英国エリザベス女王から大英帝国名誉勲章(CBE)を受章。共著に「湾岸戦争と日本」「公共政策とメディア」など。大のハワイ好きで、これまで10回以上は訪問。