かんちゃんのこと
政治のことなどは少しもわからない私ですが、今、市議会議員のかんちゃんのワープロを打つお手伝いをしています。それには理由があるのです。
今から10年以上も前のことでした。かんちゃんは自動車屋さんです。その当時は吉田さんと呼んでいました。そこで車を購入したのです。そろそろ冬のタイヤに替えたいと思って、かんちゃんに電話をしました。ところがかんちゃんは、自転車の大会で転んで骨折して入院しているというのです。
私は山にある町に住んでいて、その病院は、コンビニよりもガソリンスタンドよりも近い場所にありました。「明日お見舞いに行きますね」と約束して出かけると、かんちゃんはロビーにいました。そして、入院しているおばあちゃんと一緒でした。おばあちゃんが「◯◯町へ行くバスは何時にでるんや」とかんちゃんに聞いていました。看護師さんがお忙しかったのでしょう。「ばあちゃん、おんなじことばかり言うのじゃない。病院からバスは出てないよ」と言われました。
かんちゃんは「ばあちゃん。家に帰りたいなあ」と言いました。「家帰ったら何する?」とも言いました。おばあちゃんがうれしそうに「息子に弁当を作ってやる。息子の洗濯物もたまってる」と言いました。五分もしないうちに、そのおばあちゃんはまた「バスは何時に出る?」と聞きました。かんちゃんが「家へ帰りたいよねえ。息子さんも待っとるね」と答えるのです。おばあちゃんは息子さんのお仕事の話をしました。息子さんはお勉強ができたという話をしました。かんちゃんと私がちょっとおしゃべりすると、またおばあちゃんが「バスに乗らんなん」と言いました。かんちゃんはそのたびに、おばあちゃんに返事をしていました。
おばあちゃんが何かの用事で看護師さんに呼ばれてロビーから出て行かれたときに、私がかんちゃんに「吉田さんは何度でもおばあちゃんにお返事してて感動した」と話したら、かんちゃんは「俺の親父とお袋は自動車屋を自分で作ったから、ものすごく忙しくて、子供達の面倒をなかなか見れなくて、俺はさびしくて、しょっちゅうお袋に『かあちゃん、今日は帰ったらおるか?』と聞くと、親父は『何回もおんなじこと聞くな。忙しいんやから』って叱られたけど、お袋はそのたびに、頭をなぜて、『できるだけ早く帰ってくるね』と返事をしてくれたんだよ。五分おきに聞いても必ず返事をしてくれた。お袋は今は認知症で入院していて、もうしゃべることもできなくなったけど、ここの病院のばあちゃんは、いっぱい俺に聞いてくれて、ばあちゃんが愛おしいし、可愛いと思う」と言いました。私は帰り道涙がとまりませんでした。優しい方だなあと思いました。
そのあと、かんちゃんが市議会議員に立候補したいと聞き、パソコンが苦手だということも知りました。かんちゃんの同級生が応援して、みんなが「かんじ」と呼ぶけど、私は「かんじ」とは呼べずにかんちゃんを呼ぶようになりました。かんちゃんなら、議員さんになられたら、きっとみんなの声に耳を傾けてくれるだろうと思って応援しています。そしておばあちゃんに対するように、今も市民のことを考えながら活動していることが素敵だなあと思っています。
山元 加津子
1957年石川県金沢市生まれ 富山大学理学部を卒業後、特別支援学校の教員と、作家活動をしてきたが、2014年に教員をやめ、2012年に立ち上げた障がいを持つ方もそうでないかたもみんなで幸せになろうと「白雪姫プロジェクト」を立ち上げ、その中で意識障害の方の回復の方法と意思伝達の方法などを伝えている。
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