日刊サンWEB|ニュース・求人・不動産・美容・健康・教育まで、ハワイで役立つ最新情報がいつでも読めます

ハワイに住む人の情報源といえば日刊サン。ハワイで暮らす方に役立つ情報が満載の情報サイト。ニュース、求人・仕事探し、住まい、子どもの教育、毎日の行事・イベント、美容・健康、車、終活のことまで幅広く網羅しています。

デジタル版・新聞

楽園綺譚

ソウルで日本語教師をしていた時の話①

ソウルで日本語教師をしていた時の話①

(写真:イメージ)

外科医の祖父は朝鮮半島出身

2005年ごろから4年半ほど、韓国・ソウル市カンナム区にあった外国語学校で日本語教師をしていたことがある。私の祖父は朝鮮半島出身で、朝鮮戦争前に北朝鮮側で生まれた。十代の頃に日本の大学へ留学して外科医になり、そのまま帰化して日本人になった。実家は祖父が買った土地に建てられた家で、それと関係があるのかは分からないが、近所には在日の家族が多く住んでいた。レストランやパチンコ関係の会社経営をしている裕福な家が多く、昭和時代には珍しかった黄色いベンツや赤いシトロエン(しかも仙台なのに品川ナンバー)に乗ったりして、派手で個性的な暮らしをしていた。彼らは大柄で竹を割ったような性格で、よく韓国や北朝鮮の話を聞かせてもらっていた。そんな背景から私は、韓流ブーム以前から韓国という国に興味があった。

大学院の教授に紹介をもらって就職
そこで、大学院を修了する間際、英文学を教えてもらっていたA教授にソウルで日本語教師をしたいと相談したところ、梨花女子大学のB教授を紹介してもらえた。そのB教授に、江南区のC外国語学校を紹介してもらい、長年興味のあった韓国で日本語教師をすることになった。現在はどうか分からないが、当時の韓国では大卒以上の先進国出身者が就職先の外国語学校などを通して就労ビザを取得することはとても簡単だった。うろ覚えだが、確か申請後2週間ほどで取得でき、書類なども7、8枚しか書かなかったように思う。ちなみに私は、日本語教師の資格は持っていないが、日本の中学・高校の英語教師の免許はある。大学で当該の授業を取れば誰でも取れる免許だというのに、なぜかそれでOKだった。

月給は食住付きで12万円

ご存知の方も多いと思うが、韓国の人は外国語学習にとても熱心だ。地下鉄2号線江南駅の北側、緩やかな坂になっている狭い通り沿いには、英語、日本語、中国語などの外国語学校が林立している。私が勤めていたC外国語学校はその中の1つだった。日本語講師のほか、カナダ人の英語講師や台湾人の中国語講師、フランス語、ドイツ語講師など、入れ替わりながらも常に20人前後の講師がいた。167コマの授業をし、給料は120万ウォン。日本円で12万円程だったが、当時の韓国は物価が安かった上、日本と違って娯楽も少なかったので十分な金額だった。また、給料に加え、学校の側にある「下宿(ハスク)」という寮のような建物の一室を提供してくれた。ハスクにはアジュンマと呼ばれる60絡みの女性がいて、食事の用意や掃除、個人的な相談など、色々と世話を焼いてくれた。

1限目は朝5時45分から

C外国語学校の始業時刻はやたらと早く、午前545分だった。社会人の生徒が会社に行く前に授業を受けるためである。少人数制で、1クラスの人数は67人だった。講師たちは、1コマ目、2コマ目の545分から745分まで授業をしたら、その後、高校・大学生向けのクラスが始まる午後145分までが「休み時間」だった。5時間もあるため、家に戻って二度寝したり、その辺をウロついたり、屋台で何か食べたりして時間を潰す。私は同じ雑居ビルにある韓国語学校で、カナダ人やドイツ人の講師たちと一緒に週3回、韓国語を習っていた。C外国語学校の午後の授業は145分から始まり、最後のクラスは845分に終わる。月~金までこの流れで、土曜日は午前中に12コマ受け持ち、午後は個人授業をしたりしなかったり、という感じだった。

②に続く

楽園綺譚 

花胡椒 hanakoshou (ライター)

ブログ http://ameblo.jp/rakuenkitan/

メール [email protected]

返信する

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Social media & sharing icons powered by UltimatelySocial
Twitter
Visit Us
Instagram