久しぶりにテレビの国会中継に見入りました。いや、聴き入りました。
立憲民主党の野田佳彦元首相が、7月に凶弾に倒れた故安倍晋三元首相を追悼した国会演説のことです。戦後最長の政権を築いた故人の心労をねぎらい、非業の死を悼み、論戦での息詰まる対決の舞台を振り返りました。
「あなたの無念に思いを致せばこそ、私たちは、言論の力を頼りに、不完全かもしれない民主主義を、よりよきものへと鍛え続けていくしかないのです」
安倍政治の評価はこもごもですが、最大の罪は国会を軽視し、ウソがまかり通り、言論を貶(おとし)めたことにあったと、わたしは思います。野田氏は衆院当選同期の好敵手をやさしくしのびつつ、政治に「ことば」の力を取り戻すことを訴えたのでした。
追悼演説と言えば、1960年の日米安保条約改定をめぐる騒動のなかで、右翼少年の凶刃に倒れた浅沼稲次郎・社会党委員長を悼んだ池田勇人首相の演説が知られます。「沼は演説百姓よ」。大衆政治家・浅沼氏をうたった詩の一節を引いた演説は今も語り継がれます。野田氏の演説には与野党を超えて賛辞が送られました。名追悼演説として長く歴史に残ることでしょう。
世界に目を転じると、第一級の政治家たちが放った言葉の輝きに魅了されます。米国のリンカーン大統領の1863年のゲティスバーグ演説は「人民の人民による人民のための政治」というセリフで世に知られます。「Four score and seven years ago(今から87年前)」で始まる演説はわずか2分間でしたが、その言葉の鮮烈さに、いまも感動を覚えます。
「人類が戦争に終止符を打たなければ、戦争が人類に終止符を打つ」と警告したケネディ米大統領、「私には夢がある」の言葉が胸に迫るワシントン大行進のキング牧師。記憶に残る名言は少なくありません。
わたしが折に触れて思い起こすのは、中国・前漢の初代皇帝劉邦(りゅうほう)が死の床にあったとき、心配した夫人が評判の名医をさがして、診察させたときのエピソードです。その医者が「ご病気はきっとよくなりますぞ」と語りかけると劉邦は「命はすなわち天に在り。扁鵲(へんじゃく)といえども、なんぞ益せん」。伝説上の名医扁鵲にしても、自分を死から救うことはできない、と天命に服したのです。さすがに天下の英雄らしい覚悟でした。
政治家やリーダーに必要な資質は、行動力や責任感であることは論を待ちません。加えてわたしは、含羞(がんしゅう=はにかみ)と哲学ではないかと感じています。
戦後日本の宰相で無類の読書家、「知の人」といえば、1980年の総選挙中に病で世を去った大平正芳元首相を思い出します。「アーウー」と弁舌はさわやかならず。「鈍牛」のあだ名をたてまつられましたが、敬虔なクリスチャンであり、現実政治にもみくちゃにされながら、哲学や思想に深く傾倒した内省の人でした。1968年に記した小文に「Simple life and high thinking」(高い思想は簡素な生活に宿る)という言葉を残しています。
その大平氏と親交が深かった元西ドイツ首相ヘルムート・シュミット氏をハンブルクの週刊評論紙「ディー・ツァイト」本社に訪ねたのは2006年の秋でした。このとき87歳。うず高く積まれた本に囲まれた白っぽい執務室。ふとテレビがないことに気づいて、その理由を尋ねると「ニュースは新聞でいい。テレビは思考と哲学のさまたげになるからね」。これも忘れられない言葉です。
フランス大統領を2期14年間つとめ、ヨーロッパ政界に君臨したフランソワ・ミッテラン氏は老練な政治家でしたが、晩年の人間らしい苦悩を隠し立てしなかったエピソードが好きです。がんの告知を受けたミッテラン氏は、カトリックの老哲学者ジャン・ギトン氏の門を叩き、「生とは何か、死と何か、死後の世界はありや否や」と問いかけたのです。
ノーベル平和賞受賞者でユダヤ人作家のエリー・ウィーゼル氏との対話『ある回想 大統領の深淵』で、死の1年ほど前のミッテラン氏は、この後もずっと長生きして世の行く末を見届けたいかと尋ねられ、こう答えています。
「いいえ、ウィリー・ブラント(元西ドイツ首相)が墓碑銘として、この見事な標語を刻ませたように、《私ができることをした》と私も言うことにしましょう」
秋の夜長。珠玉の言葉が、心に灯ります。
(日刊サン 2022.11.11)
木村伊量 (きむら・ただかず)
1953年、香川県生まれ。朝日新聞社入社。米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員、ワシントン特派員、論説委員、政治部長、東京本社編集局長、ヨーロッパ総局長などを経て、2012年に代表取締役社長に就任。退任後は英国セインズベリー日本藝術研究所シニア・フェローをつとめた後、2017年から国際医療福祉大学・大学院で近現代文明論などを講じる。2014年、英国エリザベス女王から大英帝国名誉勲章(CBE)を受章。共著に「湾岸戦争と日本」「公共政策とメディア」など。大のハワイ好きで、これまで10回以上は訪問。