パンとマーチが旅立ってから、あっという間に1年が過ぎてしまった。
パンとマーチとは、我が家の姉妹猫である。2002年ニューヨーク生まれ。ハーレムのアニマルシェルターから夫が引き取り、最初はブルックリンに住んでいた。2007年にホノルルに引っ越し。2012年にハワイ島に引っ越し。私は2008年12月にハワイに嫁に来たので、12年以上一緒に暮らしたことになる。
2匹の姉妹は「アメリカンショートヘア」と呼ばれる種類で、要はアメリカのトラ猫である。パンの方が明るい茶色で、マーチはこげ茶色。瞳の色は両者とも緑色だった。日本の猫に比べるとかなりジャンボサイズで、最盛期は7kgを超えていたと思う。トイレもジャンボサイズであった。
見た目はよく似ているけれど、性格はかなり異なる。マーチは頭が良くて甘え上手、好奇心旺盛で人懐っこいけれど、ちょっぴり神経質なところがある。身軽だけど飽きっぽいので狩りにはあまり熱心ではない。マーチはとにかく夫が大好きで、いつでも夫にべったり甘えていた。夫が何かに気を取られていると、必ずジャマをする。しかし私の献身的な奉仕によって、最終的には私にもかなり甘えるようになってくれたのだった。
パンはものすごくマイペース。怖がりやだけれど大胆なところもある。かなりの人見知りで、来客時には絶対に隠れるタイプ。ジャンプが苦手で普段はどんくさいけれど、粘り強いので狩りは得意だった。一撃必殺タイプである。人見知りなのに私のことはひと目で気に入り、モーレツなお母さんっ子となる。人生であれほど必要とされることは、もうないんじゃないかと思う。パンはいつも私の左側で寝ていた。
マーチが旅立ったのは2021年3月8日。少し前からご飯を食べなくなって、覚悟はしていたけれど、その日の朝「ごはんちょうだい」と言われたので、スプーンでキャットフードをあげたところ少し食べてくれた。仕事に行って帰ってきたら逝ってしまっていて、突然飛び立ってしまったようだった。
マーチがいなくなってからほどなく、パンもだんだんご飯を食べなくなった。でもパン子ちゃんは身体が弱ってからもけっこう歩き回っていて、旅立つ直前には外で散歩までしたのだった。パンが旅立ったのは4月27日。マーチが逝ってから約7週間後。これは本当に寿命だったんだなと思う。パンとマーチは18.5歳。もうすぐ19歳だった。
子猫のチビが我が家に現れたのは2020年の11月末。これはきっと、マーチが後任を募集してくれたのだと思う。
「あたしたちがいなくなっちゃったら、お父さんとお母さんは抜け殻になっちゃうだろうから、後任を探さないとな。可愛くて頭の良い子限定!」というマーチの声が聞こえる。
チビがいなかったら、もっとずっとつらかったと思う。抜け殻になっていたと思う。今ごろパンとマーチは楽しく遊びまわっていることだろう。化け猫になって遊びに来てくれないかなと思っているのに、ぜんぜん来てくれない。
と思っていたら、パンとマーチの夢を見た。それでこのコラムを書くことにした。お別れから1年も経ってしまった。可愛い可愛いパンとマーチよ、元気で長生きしてくれてありがとう。たまにはあそびに来ておくれ。
No.243
相原光(アイハラヒカル)
フリーランスライター&翻訳
群馬県出身、早稲田大学卒業。2008年結婚してハワイに移住。夫は寿司シェフ。2012年4月双子猫パンとマーチを連れてハワイ島に引越。8月に玄米寿司とムスビの持ち帰り店「DRAGON KITCHEN」を夫婦でヒロにオープン。現在ライター兼寿司屋のお手伝いとして活動中。姉は漫画家の花福こざる。
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パン子ちゃん、マチ子ちゃん、安らかに。
大移動の引越しも頑張って本当に長生きしたと思う。後任募集も抜かりなしで偉いぞ。
遊んでくれた思い出は忘れないよ、ありがとう!
光さん、コラムありがとうございます。
ヒカルさん、驚きました。パンとマーチが亡くなって1年も経っていたなんて。
ずっと胸の内に秘めていらっしゃったんですね。とても深い悲しみだったことお察しします。いや僕の想像ではとても追いつきませんね。
間を置かずにどちらも亡くなったとのこと。それこそまるで空気みたいにお互いがお互いをとても必要としていても、そこにあるのが当たり前過ぎてどんなに重要な存在か分からなくて、マーチがいなくなってしまってパンは自分の命を自分一人では支えきれなくなったように思いました。
きっと天国で、お二人のことを懐かしんでることでしょう。お二人と一緒に生きてこれて私たち幸せだったねって。
冥福を心よりお祈りいたします。
一度会いたかったなぁ。シャーーーって言われてみたかった。