世に度しがたきもの――それは、ステレオタイプの固定観念と偏見。いえ、世界を呆れさせた東京五輪組織委員会トップの「女性蔑視」のことではありません。各国の料理のお話です。
英国の友人から「英国料理はまずい。でも、オランダ料理に比べると100倍うまい」という話を聞かされたのは、もう10年近く前でしょうか。
いえいえ、これぞ、いわれなき偏見の極み。英国人とオランダ人になり代わって、少々、弁護につとめるとしましょう。
そりゃ、「食の多彩さ」という点では、美食大国フランスにかないっこありませんが、オーブンでシンプルに焼くか煮るかが中心の英国料理には、独特の味わいがあります。ローストチキンにローストビーフ、それにブタの厚切り肉のポークチョップや子羊肉のラムチョップ。ローストビーフには、シュークリーム生地を焼いたヨークシャープディングがつきもの。タラなどの揚げ物のフィッシュアンドチップスは、パブでの定番のビールの友です。
かつて「七つの海」を支配した大英帝国時代の名残なのか、ロンドンなどの大都市での、インドや中東のエスニック料理店は、どこもかなりのレベル。2回にわたる英国滞在で実感しました。でも、パリっとした食感がないソーセージのまずさと、スパゲティの「アルデンテ(固ゆで)」をけっして解そうとしないジョン・ブルたちの意固地さといったら……あれ、これも偏見かな。
さて、オランダです。駐在経験がある日本外交官は「鎖国時代、長崎の出島を通してオランダからは多彩な物品がもたらされたが、ついぞオランダ料理は一皿も持ち込まれなかった。わかるなあ」と揶揄(やゆ)します。お隣のベルギーが欧州有数のグルメ大国と呼ばれてきたのとひきかえ、オランダ人は中世以来、質素な暮らしを誇りにしてきたこともあり、凝った食事にはそれほど関心を払ってこなかったのかもしれません。
でも、オランダ料理を侮(あなど)ることなかれ。たとえばヒュッツポットは、牛肉とジャガイモ、ニンジン、タマネギを煮込んだ素朴な家庭料理ですが、勤勉な国民性のオランダ人にとっての「国民食」と呼ばれるのがよくわかります。身体にやさしそうなスローフード。酪農国とあって、芳醇な味わいのゴーダチーズも世界的に知られています。
東京にいると、世界中のありとあらゆるお国自慢の料理が楽しめます。グローバリゼーションの賜(たまもの)にほかなりません。しかし、エスニック料理って、ほんとにエスニック(民族的)なのでしょうか?
トマトやトウガラシはともに中南米の原産で、ヨーロッパやアジアに伝わったのは、15世紀にスペイン人がメキシコを征服した後のことでした。だとすると、古代ローマのユリウス・カエサルは、トマトソースやペペロンチーノのスパゲティを口にしたことはなかったはずです。香辛料のトウガラシが伝わっていなかった古代インドで、お釈迦さんが食べたカレーは、たぶん日本の若者の間で流行の「激辛」とはほど遠いものだったのかな。
韓国料理に欠かせないのがキムチです。キムチは白菜などの塩漬けで、祭祀(さいし)の供え物として、すでに7世紀ごろには朝鮮半島の人々に愛用されていたようですが、トウガラシがなかったから、辛さはだいぶ違っていたのでしょう。トウガラシはポルトガル人によって、まず日本に伝わり、日本から朝鮮に伝わったといわれますから、グローバル香辛料の代表選手ですね。
16世紀の豊臣秀吉による朝鮮出兵の折に、加藤清正らの武将が「寒さ対策」としてトウガラシを持ち込んだ説、江戸時代の朝鮮通信使による交流でもたらされた説、などがありますが、どうやら、日本がキムチの歴史に深く関わっているのは間違いなさそうです。
明治の「文明開化」の世となると、天武天皇以来1200年の肉食禁止令が解かれ、牛鍋など西洋由来の食文化が庶民の間でも人気を博しました。明治10年には東京府下に550もの牛鍋屋があったとか。四海に囲まれた島国日本は古来、グローバリゼーションの波を受け入れることをためらわず、中国や朝鮮半島から、仏教や文物にとどまらず、渡来人、帰化人を招き入れ、独自の文化を築きあげてきました。それが、日本の「民族的伝統」というDNAなのですね。
長崎の観光名所「グラバー邸」の一角に「西洋料理 発祥の碑」が立っています。えっ、西洋料理も日本料理? 堂々のエスニック料理大国ニッポンです。
(日刊サン 2021.02.19)
木村伊量 (きむら・ただかず)
1953年、香川県生まれ。朝日新聞社入社。米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員、ワシントン特派員、論説委員、政治部長、東京本社編集局長、ヨーロッパ総局長などを経て、2012年に代表取締役社長に就任。退任後は英国セインズベリー日本藝術研究所シニア・フェローをつとめた後、2017年から国際医療福祉大学・大学院で近現代文明論などを講じる。2014年、英国エリザベス女王から大英帝国名誉勲章(CBE)を受章。共著に「湾岸戦争と日本」「公共政策とメディア」など。大のハワイ好きで、これまで10回以上は訪問。