1941年12月7日の朝、日本軍により真珠湾が攻撃された。
これにより2,390人が犠牲となったが、その中の1,177人は戦艦アリゾナの乗組員だ。
7日(水)にパールハーバー国立記念館で行われた81周年の式典には、6人の生存者が参列したとホノルル・スター・アドバタイザーが伝えている。
そのひとり、今年102歳のイラ・シャブ氏は、日本軍が爆弾投下を開始したとき、パールハーバーのフォード・アイランドに停泊していた戦艦ドビンに乗船していたという。
「どうしたらいいのかと途方に暮れた。船内で逃げることもできず、ひたすら被弾しないようにと願うだけだった」
当時海軍音楽隊員だったシャブ氏は、武器を扱う訓練は受けたことがなかったが、その時は機銃兵に弾薬を運ぶ手伝いをしたという。
幸いにも戦艦ドビンは爆撃を免れたが、近くに停泊していた戦艦アリゾナが炎に包まれて沈没していくのを目撃したという。
毎年12月、追悼式典に参加するために、オレゴン州ポートランドからハワイを訪れる。
シャブ氏は、式典に参加できない仲間の生存者と、パールハーバーの海の底で永眠している軍人のために参加し続けているという。
式典では、パールハーバー国立記念館館長のトーマス・レザーマン氏が次のように述べた。
「参加する退役軍人は少なくなってきているが、ここで起きたことを忘れないという気持ちは強くなっている。12月7日に起きたこと、そしてその後の出来事、第二次世界大戦にアメリカが参戦したことに関する様々な物語や歴史を共有することで、共にここで戦って犠牲となった人々を悼み、これからも敬意を表し続ける」
新型コロナ関連の規制が緩和されて式典の参加者は増えたものの、当時船員だった生存者は高齢化しており、昨年の80周年の際には生存者30人の参加があったが、今年は6人のみだ。
ほとんどの生存者は90代以上で、その多くは100歳を超え、ハワイへの旅行が困難になってきているという。
戦艦アリゾナの乗組員で生き残ったのはわずか2人で、ルー・コンター氏(101)はその1人。
カリフォルニア州の自宅で今年の式典のライブ放送を見たという。
式典では、事前に録音されたコンター氏のスピーチが流された。
「いつも、一緒に戦った仲間の名前を思い返すようにしている。そして、彼らの犠牲に対して神に感謝を捧げる。パールハーバーとは何だったのか、何が危険に晒されていたのかを未来の人々に伝える必要がある」
真珠湾攻撃で命を落としたのは軍人だけではない。
オアフ島では、49人の一般市民が亡くなり、35人が負傷している。
ハワイ州には、戦時中に厳しい統制がひかれ、軍が訓練や射撃練習に使用するため、家から追い出された人々もいた。
島の多くの若者が志願兵や徴兵として戦争に参加した。
軍の記録によると、第二次世界大戦中にハワイで徴兵された男性の12%は、ハワイ先住民、もしくはその血をひく者だったと推定されているという。
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写真:Shutterstock.com
(日刊サン 2022.12.8)