パンデミックの影響で3年間にわたり中止されていた灯籠流しイベントが29日(月)に復活し、何千もの追悼メッセージをのせた灯籠が揺らめきながらアラモアナの沖合に流されたとホノルル・スター・アドバタイザーが伝えている。
真如ランタン・フローティング・ハワイはメモリアルデーの伝統的なイベントとしてハワイで親しまれている。パンデミック以降、今年は規制なしで行う初の開催となり、会場のアラモアナ・ビーチ・パークに推定4万5000人もの人が来場。歩道、ビーチ、芝生エリアに数多くの人々が並び、その多くは何時間も前からテントを張っていたという。
このイベントは、「亡くなった軍人や愛する人を称え、集まった人みんなで追悼の時を共有し、明るい未来を築くための決意を表明する」ことを目的としている。真如苑ハワイのコミュニティ・リレーションズ・リエゾンであるクレイグ・ヤマモト師は、「過去数年間の数え切れないほど続く思いやりと英雄的行為についてみんなで振り返り、追悼の瞬間を共有し、未来への希望と刷新の感覚を生み出すための対面イベントに戻ることができて感謝している」と述べている。
2022年、真如苑ハワイは、「COVID-19のパンデミックからできるだけ安全に脱出するためのコミュニティの総力を結集するため」、灯篭流しを直接開催しないことを決定。その代わりに、テレビとインターネットによるライブ放送がKHON2と同団体のソーシャルメディアプラットフォームで放映された。さらに、地元住民を招待し、寺院の向かいにある水辺に、一度に5人ずつのグループで灯籠を浮かべるインタラクティブなアートインスタレーションが行われた。
今年は5000個以上の灯籠がアラモアナ・ビーチ・パーク沖の穏やかな海に浮かび上がり、絵に描いたようなハワイの夕暮れとともに感動的なセレモニーが行われた。
ユナイテッド航空を退職した整備士のビル・フォングさんは7人を偲ぶためにイベントに参加した。7人のうちほとんどが、ここ2、3年の間に亡くなったばかりの元航空会社の同僚たちだった。「私は彼らを称えると同時に、別れを告げるためにここにいる」「別れはない。私にとっては、”また会おうね”ということだ。彼らを送り出す。心の中にしまっておくんだ。そして、彼らは決して死ぬことはない」。
カレン・タナベさんは、ハワイ島ヒロの郵便局員で、17年間の肺病との闘いの末に67歳で亡くなった亡き夫、ラリー・タナベさんの思い出を称えるため、ヒロからオアフ島にやってきた。「彼は旅立ちの準備ができていた。彼はもう十分に苦しんでいたから」「彼はクリスチャンだったので、彼がどこにいるのか知っていますし、また会うことができる」。
ホノルル出身の元米空軍飛行士、ロッド・トレンティーノさんは、9人の家族と5匹のペットを想っていた。その家族の一人は彼の最愛の祖母マリア・サクレヤン・トレンティーノさん。彼女は学校教育も受けず字も読めないままアメリカに渡り、82歳でこの世を去った。トレンティーノさんは、祖母と非常に親しかったといい、祖母がイロカノ語を教えてくれたことに今でも感謝しているという。「私が何か問題を抱えたとき、彼女はいつもそばにいて私を助けてくれた。彼女が亡くなったときは、本当にショックだった。こんなに早く逝ってしまうとは思ってもいなかった」。
アン・トングさんと娘のケリナ・トング=ウッドールさんは、3月に90歳で亡くなったアンさんの父であり、長年の州地方判事テニー・トング氏の追悼のためにアラモアナを訪れた。アン・トングさんは父親について、謙虚で自分のことや自分の功績を語ることはほとんどなかったと語る。アメリカ空軍で操縦を学び、アロハ航空のパイロットになり、後にハワイ・スリフト・アンド・ローンの社長になった。1960年にロースクールを卒業後、弁護士として個人事務所と州司法長官事務所で働き、1984年に地方裁判所の判事に任命、2002年に引退するまで務めあげた。「彼はとても穏やかで、他人を決めつけない人だった」とアンさんは振り返る。「彼はわずかな言葉しか発しないが、自分が何をしたかについて考えさせる人だった」。
ティファニー・リーさんと母のガン・グエンさんは、グエンさんの両親であるアン・リーさんヒュー・グエンさんを称えた。ティファニーさんは、祖父母はベトナムに住んでいたが6人の娘たちの模範であり、「私たちが平和で幸せであるというメッセージを送りたい」と語った。
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