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カカアコのIslander Sake Brewery ハワイの風を醸す、日本酒の蔵元再興!
カカアコのIslander Sake Brewery
ハワイの風を醸す、日本酒の蔵元再興!
2020年3月、誕生からして名所と呼びたい店ができた。ハワイでは30数年ぶりとなる日本酒の蔵元、『Islander Sake Brewery アイランダー・サケ・ブリュワリー』だ。 酒蔵の主は高橋千秋さんとパートナーのTama Hiroseさん。醸造研究家で医学博士でお坊さんでもある! 千秋さんの経歴はプロフィールを見ていただくとして、酒の仕込みはすべて、千秋さんが杜氏として担っている。 「私は長年、ワインと日本酒の醸造コンサルタントの仕事をしてきました。山梨大学ワイン発酵センターで働いていた時、地元のご年配の方が晩酌に、当たり前のよう地ワインを飲んでおられるのを見て、ヨーロッパ由来のワインでも“郷里の酒”として定着できることに勇気付けられました。いつか海外で日本酒を醸造したいというのが、私の夢でしたから」
ハワイ初の日本酒蔵は1908年
なにゆえ、ハワイで?
「2017年にハワイで“全米日本酒歓評会”という酒の審査会と、そこに出品される酒の利き酒ができる“Joy of Sake”というイベントがありました」
1,500人以上のローカルの人がコンベンションセンターに詰めかけ、大盛況の催しだった。 「ふだんは飲めない500種ほどの日本酒をおいしそうに楽しそうに飲んでいて、私、日本以外でも日本酒はこんなに愛されているんだと痛感しました。またその時、昔ハワイには酒蔵がいくつもあったことを知りました」
ハワイが好きで、30年来数え切れないほどハワイに来ていた千秋さんだったが、“ハワイの日本酒造りの歴史”については疎かった。
「以後私は時間を作ってはハワイに通い、酒や日系人の歴史を訪ね歩きました」
元年者に始まる日系移民の歴史…1885年、日本からの移民到着を歓迎し、カラカウア大王は相撲大会を開催し、40余人の移民が東西に分かれて対戦。王さまは勝った東組へ10樽の日本酒を贈り、参加者全員にも酒が振舞われたとの文献が残る。どうやって日本酒を入手したのかはナゾだけれど。
「ハワイ初の酒蔵は、“Honolulu Japanese Sake Brewery Co. ホノルル日本酒醸造会社”で、1908年から“宝島”という銘柄を販売したようです。1914年には30万ガロン(1,100キロリットル)もの酒を生産できるようになり、ヒロ酒造や布哇清酒会社などの醸造元も追随しました。故郷の日本を思いながら醸された酒はどんな味だったのか、南の島の暑さの中での酒造りはさぞや困難の極みだったろうと、同じ酒造りの職人として思いを馳せます」
禁酒法時代は製氷業をしてしのぎ、解禁になった1933年末からホノルル酒造製氷会社は酒の醸造を再開。“宝正宗”などの新銘柄も販売した。
太平洋戦争が始まる直前までは、ハワイでは年産7,500キロリットルもの日本酒が醸造されていたという。大戦突入後は、アメリカでは食料以外に米を使うことは禁止されたため、日本酒の醸造は違法となってしまった。そのためハワイの酒造会社は醤油や味噌を仕込んで商いを続けた。
「波乱万丈、大きな歴史の波を知恵と忍耐で乗り切り、一時は消費拡大するかに見えた日本酒ですが、戦後までに多くの蔵が消え、唯一残ったホノルル酒造製氷会社は1986年に米国宝酒造に買収され、数年後には廃蔵に。以後30年以上、ハワイの酒造りは途絶えていました」
日本では、酒の銘醸地は寒いところが多い。酒は15度くらいを最高温度とする低温で醗酵させなければならないから、できるだけ寒い気候が条件となるのだ。ハワイはそれとは真逆の常夏の島。しかし先人たちは、逆境のハワイで祖国の酒を醸してきた。その足跡を消してはならない…。
千秋さんも大好きなこの地で、酒蔵再興を誓った。
蔵のアイコンはライトブルー
「ハワイでビジネスとして酒蔵を立ち上げる」と決意してから、会社の設立、物件探し、酒造機械の導入など、何度も日本とハワイを行き来した。パートナーのTamaさんはハワイ大学出身だ。18年間の在住経験があり、地縁や人脈もあったが、遅々として進まないハワイタイムに振り回され続けた。それでも二人揃って就労ビザを取得することができ、ハワイに移住。
「どこに酒蔵を建てるか、物件探しは難航しました。ホノルル市の土地の多くはハワイアンの財団が所有し、食品製造に使用できる土地は稀少でしたから」
そこで千秋さんとTamaさんは、同業者の動向に目をつけた。
「近年、5つのビール醸造場が立て続けに新築されていたのがカカアコ地区でした。調べてみると昔、日本酒の酒蔵もあった。カカアコは食品製造が可能な産業地区だったんです」
大当たり! カカアコのクイーン通りに面した物件は、中庭のようなオープンスペースのある、外飲みにも最高の立地条件だった。
蔵は麹室と倉庫、醸造室と、それがガラス越しに見えるバー&ダイニングの、隠れ家的な佇まいだ。Islander Sake Breweryのシンボルカラーは、ハワイの空や海を映し出すライトブルー。酒蔵の外壁は、千秋さんとTamaさんと友人らでライトブルーのペンキで塗りあげた。バー&ダイニングには、ハワイ産のモンキーポッドの質感を生かした、長さ5mほどのカウンターがしつらえられた。
「蔵は友人たちのボランティアのおかげで設立できました。実際の酒造りもどれだけ助けられているか、感謝の毎日です」
摂氏10度に低温管理された醸造室には、貯水用タンクや醗酵タンク、酒を絞るろ過圧搾機が並んでいる。どれも小さな酒蔵用の特注品だ。
「酒造りに欠かせないのが水です。ハワイの水は軟水と言われていますが、実際に測ってみたら硬水の数値が出たんです。ホノルル市の金属製の水道管は古いため、水に鉄分が混じってしまうんですね。不純物を取り除く浄水器も導入してあります」
日本酒は、醸して育てる
寒い醸造室とは反対に、麹室は室温35度、むっとするほどの暑さだ。
「日本酒というのは、お米を蒸して、そこに麹菌を振りかけて、米のデンプンを糖に変える“麹(こうじ)”作りが大切です。米と麹菌は日本から輸入しています」
農薬はもとより肥料も除草剤も使わずに育てた、自然栽培米“カミアカリ”や北海道の“キタシヅク”などを使用している。
「将来的にはハワイで米作りもしたいので、カリフォルニアのカルロース米を使ってみたり。今はいろいろ実験するというか、勉強の時期なので、3種類の米をミックスした酒を作ったりもしています」
麹室で麹を仕込むには50時間前後かかるが、千秋さんはいつも徹夜でこの作業にかかる。
「温度も湿度もほんの少しの変化で麹の醗酵具合が変わるんです。それは温度計や湿度計だけで分かるものではない。私の目や指をセンサーにして確認するしかないんですね」
できあがった麹に仕込み水を加え、蒸したお米と酵母を足して育て“酒母(しゅぼ)”を作る。酒母を基本として、水・麹・蒸し米を仕込む作業を3回繰り返して“醪(もろみ)”を仕込む。麹、酒母、醪、これすべて醗酵のプロセス。千秋さんは醗酵を“醸す”と呼ぶ。日本酒は生きもの、醸しながら育っていくのだ。
「育ってくれた醪を搾ったものが日本酒です。残ったのが酒粕(さけかす)。こうして日本酒ができるまで、およそ30日かかります」
同じ材料、同じ工程で作っても、でき上がりは毎回微妙に違う。一期一会の難しさでもあるけれど、それが面白さ、奥深さだと話す。
Islander Sake Brewery謹製の吟醸酒は、ハワイの風のようなさらりとした飲み心地。素直なうま味で、料理との相性もいたって良好だ。
蔵元キッチンの料理とともに
「日本の酒蔵では、新酒ができあがるとお得意さんが試飲に来るので、お酒に合う料理を出したりするんですね。私たちのバー&ダイニングのお酒と料理のペアリングディナーも、蔵元の家庭料理をイメージしています」
お任せコースで、料理にも酒粕や甘酒が生かされている。自社蔵の酒だけでなく、千秋さんが厳選したレアな日本の酒もサーブされる。
「私たちはリカーライセンスを取得しているので、酒の小売もできます。よそで売っていない銘柄もあるし、値段も卸並みの安さに設定しています。自分たちの酒だけでなく、日本酒全体の底上げをしたいから。ハワイの人に、ハワイに来る世界の人に、日本酒のおいしさやポテンシャルをもっと知ってもらうための発信基地になりたいんです」
(取材・文 奥山夏実)
【電話】(808) 517-8188
【Eメール】[email protected]
【営業時間】火曜〜土曜:11am-10pm
正月は1月2日(土)〜5日(火)まで休み
コロナウイルス拡大防止の規制のため、入店人数が限られていますので、事前に電話予約をお願いします。
【住所】753 Queen St. Honolulu 96813