ウイスコンシンで独り言 突然の来訪者
ほぼ60年前の僕が小学校5年生だったある日、突然車がやっと通れる狭い道にタクシーがやって来て、僕の家の前で止まりました。そして出て来たのは白衣を着た二人のお医者さんで、僕の父に会いに来たのでした。
その時父は胃潰瘍を患っていて、食欲も元気もありませんでした。来訪されたお医者さんは父の胃潰瘍の症状を説明され、手術が必要なことを強調されたのだと思います。特に若い方の先生が、手術を熱心に勧めていたように記憶していますが、その説得に父の反応は冷ややかで、自分の両親や兄弟より長生きしたので、充分自分の寿命を全うしている、というようなことを言ったと思います。そこでその昔の記憶は終わっています。
家庭医
そう言えば、その当時はかかりつけのお医者さんがいて、往診ということもありました。うちは母親が足が悪く寝たきり状態だったこともあり、往診に来てもらったことが何回かあります。大雨の降る夜更けに往診に来てくださったこともあり、先生が多忙な際にはその当時もうすでに引退された先代が来られることもありました。
それで治療費ですが、国民保険ですべてが賄われたのでしょうか? 母親が治療費の請求が来たことがないと耳打ちしてくれたことがありました。慈善事業じゃあるまいし、まさか治療の請求を忘れたなどということもないと思うのですが。でもその当時、ひょっとすると家庭によっては支払いができない家もあって、お医者さんもその点で悠長だったのかもしれません。
昔はよかった?
そんなことを考えていたら、「昔はのんびり、なんともおおらかだったなぁ」なんて思いました。昔はよかったかと言えば、医学が発達し、いい薬もいっぱいでき、病院の設備や緊急医療も整う今の方が絶対いいに決まってます。でもそうではあっても、あの頃、お医者さんがわざわざ家まで勤務中だったのかその後だったのかわかりませんが、タクシーを使ってまで、人の命を救おうと患者の家まで出向いてくださったことに今更ながら感謝するのです。もちろん今なら、電話一本ですむことですし、メールしたり、なんならズームで空いた時間を見つけて、患者を説得することもできます。でもズームで説得するのと、貴重な時間を割いて患者の家まで来て、面と向かって熱心に説得するのが同じでしょうか?
最近のお医者さんを見てると分刻みで忙しく動いているように思えます。もちろん医学が進歩し、専門分野が細分化され、我々はいい治療が受けられています。その意味で今現在がいいのだけれど、あの時、父親を助けようと病院から駆けつけてくださったお医者さんにとても感謝しつつ、そんな時代があったって懐かしむことがあるのです。
とどけMahalo! アメリカ本土便り No.98
大井貞二(おおいさだじ)
1988年にハワイに移住。地元の私立校で日本語を教える。その後、ハワイ大学大学院を経て、ハワイパシフック大学(HPU)にて世界中からやってくる学生に日本語を教え、最近退職。現在アメリカ本土に居住。
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