お子さんがハワイの学校に通っている、自身がロミロミなどの資格取得をめざしている…小中学校から大学、専門学校と、ハワイの教育機関は実に多彩。日刊サンではバイリンガル教育をはじめとする、“学び”の特集をしています。
ピースビルダーとして生きる ひろみピーターソン さん
海外在住者の日本語教育について。今回は、オバマ米大統領の出身校として知られるプナホウスクールで、日本語教師をしていたひろみピーターソンさんにお話を伺う第2回。
ひろみさんは、1984年から2014年まで、プナホウスクールに教師として勤務。その間に30年の歳月をかけて中高生用の日本語教科書を自ら考案し、同僚たちと執筆、そして『Adventures in Japanese 1 – 5』を出版した。いまでは全米の中学高校のベストセラーで、ヨーロッパでも採用される教科書の著者だ。その功績が評価され、2004年に全米日本語教師賞を受賞。相当額の著作権料のすべては学校に寄付し『アドベンチャー日本語基金』などを設立。13年前からは「広島平和スカラシップ」を立ち上げて、生徒を広島へ派遣、平和教育を続けている。原爆とのかかわりにおいて反核平和に貢献した人に贈られる「谷本清平和賞」を2016年に受賞されている。
全5巻の『Adventures in Japanese』。1巻は日常生活で使う日本語と文化、2巻はコミュニティで使う日本語と文化。3巻は日本の高校やホームステイで使う日本語と文化。5巻は大学での単位が得られるAP(Advanced Placement)試験準備の日本語と文化の練習本。そして4巻には日本とアメリカ双方に接点のある内容を盛り込んだ。戦争の話を2つ入れた。
語学教育は平和教育
「私は戦後生まれの被爆2世で広島で生まれ育ちました。第4巻の日本とアメリカのかかわりを伝えるため、戦争についての話題を教科書に入れるのは必然でした。共著者である日系3世のナオミ平野大溝先生のおじいさまが実際に体験した日系人収容所キャンプについてのこと。そして私の家族の原爆体験の2つを盛り込んでいます。
授業では、生徒たちに自国の言葉で自分の祖父母に戦争体験に関する聞き取りインタビューをしてきてもらい、それを日本語で発表する『私の家族の戦争体験』プロジェクトに取り組んでもらいました。これにより、生徒たちは自らのルーツやヒストリーを知ることができました。生徒はもちろんですが、なによりそこで私自身が気づいたことがありました。それは、被爆地日本は、戦争の被害者であるけれど、一方で加害者でもあるということでした。
生徒たちから発表された内容は本当に多岐に渡るものでした。発表を聞くと驚きの連続でした。『原爆作りに携わったカリフォルニアのおじいさんの話』『中国で日本軍が町を攻めてきて、目の前で家族が日本軍に殺されたというおじいさんの話』『フィリピンのおばあさんからは、日本軍が村を焼き払い、命からがら逃げた』という内容など。私の父は中国で戦争し、遺影でしか知らない叔父はフィリピンで戦死しました。私の父は中国へ兵隊として送られている。実際に残酷な写真も見せられたことがある。あるとき、『お父さんも中国人を殺したんでしょう』と聞くと、『殺さなかったら殺されていた』と私に話しました。生徒の話を聞いて私はこのときの会話を思い出し、はっとした。生徒が発表してくれた祖父母が体験したその場に、父や叔父がいなかった保証はない。『もしかしたら…』
生徒には原爆によってできたきのこ雲の下でほんとうに何が起きていたのかを理解してほしいと思いました。『広島平和スカラシップ』を設立し、毎年高二の2名の生徒と教師を広島女学院に派遣し、平和学習をしてもらっています。そこでは原爆資料館を見学し、歴史を学び、平和祈念館で被爆証言を聞く。8月6日の平和式典にも参加し、その翌日に行われるピースフォーラムで日本各地から集まった生徒たちが平和への取り組みの発表を行っています。そしてプナホウに戻った生徒は、新学期に学校のチャペルでその平和学習の学びの発表を続けています」
サダコ平和折り鶴プロジェクト
かつては「リメンバー・パールハーバー」「ノーモア・ヒロシマ」と非難しあってきた日米関係も、戦後75年を経てその考えが変わってきている。そのひとつが、原爆の子の像のモデルになった佐々木禎子さんが折った折り鶴だ。2013年からパールハーバー記念館に寄贈、展示されている。そのサダコの折り鶴が平和と和解のシンボルになった想い、その火を消さないように、毎月第2土曜日にはプナホウ高校の生徒と教師がボランティアでパールハーバー記念館に出向き、ビジターに禎子のお話をし、折り鶴の折り方を教える「サダコプロジェクト」を開始。2016年には日本の生徒たちからの折り鶴がパールハーバーに届けられるようになった。ひとりひとりが折った一羽一羽の折り鶴にはピースメッセージが書かれ、訪れたビジターたちはその折り鶴を持ち帰る。平和の想いは折り鶴の羽に乗って世界へ届けられることになった。
プナホウを退職したひろみさんは、現在、書道の先生として書を教えている。生徒の60%はローカルで日本語がわからない。英語で教えているという。
生徒の人生観を変えた語学教育
4巻で取り上げたのは戦争に関することばかりではない。 「盛り込んだ内容はひとりの生徒の人生観を変えたと言われたことがありました。『雨にも負けず』のレッスンをしていたときのことです。ユダヤ系の生徒が『ユダヤ教では一度悪いことをしたら地獄へ行く。だから怖いと思いながら生きていた。だけど、仏教の教えはそうではなく、自然に生きて感謝していくというのを知り、気が楽になった』とつぶやいたのです。とても印象的でした。日本語教育の教科書を通じて、様々なことを子どもたちが感じてくれている。ある国では一生背負って生きなければならないことでも、違う考えがあるんだ、と私の日本語のクラスで知ることができた、と生徒から教えてもらったことは、私にとって大きな収穫でした」
教師として生きてきたひろみさんが、教科書を通じてはじめた平和活動がハワイから世界へ。そして世代を超えて広がりを見せている。「これからは、ピースビルダーを育てることが、自分のミッション。『広島平和スカラシップ』や『パールハーバーでのサダコプロジェクトと平和折り鶴プロジェクト』を通じて、平和の大切さを伝え続けていく」という。
(取材・文 鶴丸貴敏)
(日刊サン 2020.2.28)