幕末の新選組の副長、土方歳三の故郷として知られる東京・日野市。私の育った街でもある日野を本拠地とするリーグワンの「日野レッドドルフィンズ」で、今季は異色の経歴の2人の若手が活躍しています。ラグビー界に新風を呼ぶ2人の選手に単独取材しました。
王道外れ、新たなラグビー道
野球選手が甲子園をへてプロ入りを目指すように、ラグビーでは花園に出場し、早稲田や明治など強豪大学で活躍するのが憧れの王道。毎年NHKで生放送される大学選手権決勝の早明戦などは、コロナ前は国立競技場に満員のファンを集めました。
日野のフルバック(FB)として開幕から先発で活躍する吉川遼(25歳)は、その“王道”を外れ、高校卒業後にラグビー王国のNZに単身留学しました。空港から、両親や妹に見送られての出発では「正直怖くて、少し泣いた…(笑)」という17歳の旅立ち。実は「行きたい大学にAO入試で落ちて…。父親に相談して、卒業の2カ月前にNZに行くことを決めました」。他大学に推薦で進む道もある中、ラグビー部の監督や担任の先生からは猛反対された決断でした。
文武両道のNZの大学生活
現地では英語の猛勉強の末、1年間の大学入学準備コースをへて、北部の都市、オークランド近郊にあるワイカト大学の経営学部に入学。現在のNZの女性首相、アーダーン首相も卒業した名門です。
高校時代は強豪の国学院久我山のラグビー部で、2年時には花園にも出場。NZでは地元のクラブ「フレイザーテック」に入りますが、練習は火・木曜の週に2回で、夜の6時~7時半。土曜は試合というのが現地のラグビー文化で、日本の体育会系運動部と比べたら、ごくごく短い練習時間でした。「最初は英語の勉強が7割で、ラグビーは3割。その後はラグビーが4割ぐらいになりますが、勉強も大変でした」という“文武両道”な学生生活を送りました。
カピオラニ公園でラグビー!
2017年にはハワイ大学マノア校にも交換留学で4カ月滞在。「昔からハワイに憧れていて…。ハワイのゆったりした感じはNZと似ていました」とロコ生活も満喫し、ハリクィンズという古豪のラグビーチームに入り、カピオラニ公園で汗を流したそう。
ラグビー通訳の経験が転機に
転機は大学3年の頃、スーパーラグビー(SR)の強豪チーフスで、通訳を務めたこと。南半球を舞台とする世界最高峰のリーグには日本の名門・神戸製鋼から有望な日本人選手が短期で派遣されていました。通訳として行動を共にし、「プロの選手の知識やコーチの話す内容が学びになった。トレーニングも一緒にやらせてもらってフィジカル的にも強くなって、ラグビーに対する理解度が上がりました」と一つの壁を破ります。所属クラブで1軍クラスのプレミアAにも出場し始め、トップリーグ(現リーグワン)をようやく意識し始めました。
晴れて合格、入団へ
ただ夢への試練は続きます。ワイカト大学卒業後にプレーの場を探しますが、見つからず、一度は保険大手の「AIG」に入社。その直前に日野のトライアウトも受けており、返事待ちの状態でした。吉報が届いたのは2019年秋。日本がラグビーW杯の熱狂に包まれた同じ頃、2カ月のサラリーマンを経験した「トップリーガー吉川」が誕生しました。 “武者修行”でNZに渡っても、日本に戻りプレーの場を得られるのは3割程度と言います。「しっかり目標をもってやればチャンスは絶対くる。チャンスがいつ来てもよいように、日ごろから準備をしておくことが大切」とは吉川。今季2節の釜石戦では、秩父宮で2トライを決め自身初のPOM(Player of the match)を受賞しました。自らのラグビー道を切り開いた25歳の言葉には、熱がこもります。
若き指令塔もNZ組
一方、日野で今季、指令塔のスタンドオフ(SO)として彗星のごとく登場したのが、22歳の北原璃久。屈強な外国人選手に一瞬もひるむことなく鋭く刺さるタックルや無尽蔵のスタミナで、ファンを魅了しています。昨年11月に4年滞在したNZから帰国すると、今季は開幕からキッカーを任され、すっかりチームの信頼を得ています。
中学時代から抱いた志
北原も吉川と同じくNZ留学組。幼い頃から父親の影響でNZ代表のオールブラックスやSRをテレビで見て憧れ、早くも中学時代からNZ留学を決意。「不安はなんもなく、ワクワクしかなかった」と高校卒業と同時に、ラグビーの本場に一直線に乗り込みます。
帰国決意のひそかな理由…
南島にある国内最古のオタゴ大学で「Sports Development and Management」を専攻する一方、オタゴの州代表や、その上のSR入りを目指し、地元のクラブや選抜の州代表Bチームで3年プレーします。昨年秋に日野の強化担当の目にとまり、帰国。まだ1セメスターを残し、オタゴ大学を「休学中」の身。夢の途上での方向転換でしたが、「チームにはSRの経験のある選手もいる。レギュラーをとれたら、クーパーともやれるし、自分の成長の機会になると思った」と羅針盤の針を日本に向けました。
“クーパー”とは花園近鉄に所属するオーストラリアの現役代表で75キャップの、クウェイド・クーパーのこと。南半球とシーズンがずれ、治安の良い日本では“出稼ぎ”も兼ねて世界各国の主力級の代表選手が大勢プレーしているのです。
チームの期待も大きく
北原の夢の対戦は、2月12日の花園近鉄戦(秩父宮)で実現。試合後のピッチ脇ではお互い自然と歩み寄り、英語でクーパーと談笑する場面もありました。日野の箕内監督も「(北原は)若い選手だが強いプレーで、チームにいい影響を与えてくれている」と大きな期待を寄せています。
新たな時代の風を呼ぶ選手に
進取の精神を胸に10代で世界に渡り、日本ラグビー界の頂点の舞台で輝き出した2人の選手たち。2人が口を揃えるのは「チームのコミュニケーションで英語には全く支障がない」。国籍の違う選手が同じチームに集うラグビーでは、他のどのスポーツより不可欠な英語力。語学力はもちろん、身に着けたグローバルな視野や試合センスで、ラグビー界に心地よい新たな風を吹かせています。
写真は全て©hinoreddolphins
東京・大手町発 マスコミ系働き女子のひとりごと Vol.44
(日刊サン 2022.3.14)
竹下聖(たけしたひじり)
東京生まれ。大学卒業後、東京の某新聞社でスポーツ記者、広告営業として15年間勤務後、2012年〜2014年末まで約3年間ハワイに滞在。帰国後は2016年より、大手町のマスコミ系企業に勤務。趣味はヨガと銭湯巡り。夫と中学生の娘、トイプードルと都内在住。
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