(前回まで)「世界をまたにかけて働く」ことを幼少からの夢としていた私は、意と反して損害保険会社に入社。順風満帆な生活を送っていたが、会社が急きょ経営破たん。その後の人生を切り開くために渡米しMBAを取得。その後メガバンク勤務を経て、経営企画マンとしてのキャリアを積むため、渋谷にあるベンチャー企業の門を叩く。入社から1年半後、子会社の立て直しのため転籍、副社長に就任した。
2008年の年越しは、それまでの労苦が報われるかのような穏やかな年末であった。それは、年末に成就したジャパネットたかたとの業務提携がなせる業であり、NNTのトップディーラーとして君臨するであろうQAM社の近未来に大きな期待を寄せた2009年の正月となった。そんな浮かれ気分で仕事始めを迎えていたが、正月気分も抜けきらないある日、社長宛に一本の電話が入ったことから雲行きが怪しくなってきた。
電話の主は、QAM社ビジネスを長きに渡って支えてきた重要協力会社の社長。今すぐ会いたいとのこと。コートも羽織らず飛び出していった社長が会社に戻ってきた時は既に22時を回っていた。「副社長、ちょっといいか?」と社長室に呼ばれると開口一番、「IA社(重要協力会社の名称)の台所事情が火の車とのことだ。このまま行くと数か月で債務超過に陥ってもおかしくない」。「当社への債権放棄の依頼だったのですか?」と私が尋ねると、「いや。そこまでは言われていないが…。明日、IA社に一緒に行ってもらえるか?」そう言ってその日は別れた。
IA社は我が社傘下の代理店として、テレマーケティング事業を展開していた。同社との取引条件はいわば出来高制。成果が出なければ対価は払わないのだが、その代わりに成約量が増えれば増えるほどボーナスインセンティブが支払われる仕組みになっていた。営業力に絶対の自信を持つ同社は、成約量拡大のため断続的に事業拡大を行っていた。それには先行投資が伴ったため、同社の台所事情は慢性的に苦しかった。そこを我々もインセンティブの前払いという形で資金援助してきた。それが焦げ付く可能性がある。そう思うと、財務を預かる身としては戦々恐々たるものがあった。
翌日。IA社を訪問した社長と私は、同社の応接室に通された。ドアが開き、同社社長を先頭に、財務責任者、事業開発の執行役員の3名が入室してきた。双方の社長が昨日の面談からの流れで話し始めると、しばらくして先方の事業開発担当執行役員が一つの提案書を配布し始めた。タイトルには「IA社の3か年計画」とある。パラパラとめくると冗談ともとれるような拡大ストーリーが描かれ、最終頁は当社に対する更なる資金援助依頼で結ばれていた。
即断で「これを受諾するにはQAM社だけでは無理で、親会社の取締役会の承認が必要」と悟り、加えて、それを通過させるのは、1キロ先の針の穴に糸を通すようなものだとも思った。
横に目をやると、社長は不敵な笑みを浮かべている。IA社によるプレゼンテーションが開始される前から、応接室は“ただごとでは済まない”という不穏な空気に包まれていた。
(次回につづく)
No. 202 第3章 「再挑戦」
Masa Kokubo
1995年中央大学法学部卒。損害保険会社勤務後、アイオワ州の大学院にてMBAを取得。その後、メガバンク、IT企業を経て、現在はグローバル企業にて世界を相手に奮戦中。趣味はサーフィンとラクロス。米国生活は通算7年。
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