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【My Destination】第3章 「再挑戦」四度目の正直 Part3
(前回まで)「世界をまたにかけて働く」ことを幼少からの夢としていた私は、意と反して損害保険会社に入社。順風満帆な生活を送っていたが、急きょ会社が経営破たん。その後の人生を切り開くために渡米しMBAを取得。メガバンク勤務を経て、新たなキャリア形成のため、渋谷にあるベンチャー企業の門を叩く。子会社での副社長経験を挟みつつ、経営企画業務全体を取り仕切る中、遂に悲願の株式上場承認が東京証券取引所(以下「東証」)から降りたのだった。
2011年12月初旬。株式公開日を間近に控えた我々に対して、上場日に提示される株価である「公開価格」が内々に開示された。もともと非常に厳しい環境であることを認識していたものの、その価格は我々の想定の下限を遥かに下回るもので、経営陣はもとより関係者を大きく落胆させるものとなった。
我々のビジネスがITを謳うものの急成長の響きがあまりないこと、さらには、長引く不況に東日本大震災が追い打ちをかけ、日経平均株価が1万円を切るような逆境であることを重々承知していたため、少しでも公開価格が高く付くように出来る限りのことは手を尽くしてきた。最終的には大株主でもあり社長の出身母体でもある大手電機メーカーの会長と大株主の総合商社の役員に依頼し、幹事証券会社に対して我々の公開価格を何とかするよう圧力まで加えた。そこまでした結果がこれだった。現実の厳しさをまざまざと突き付けられた瞬間だった。
この時より経営陣と経営企画室長である私は、今後の対応につき大きな決断を迫られた。この株価と共に株式上場することのリスクがあまりにも大きいためだ。まずは先述している大株主達は、上場した瞬間に含み損とはいえ損失を被ることになる。彼らは公開価格より高い株価で我々に出資していたからだ。更には、低い株価というのは“割安”で買い易いという見方もあり、望まぬ者から敵対的買収を受けるリスクもぐんと高まることになる。一方、上場の意義は何だったのだろう。上場で得られる資金、知名度、あるいは創業時からの悲願…。これらを何度も何度も考えた。社長もCFOも皆一様に苦悩していた。
上場予定日の数日前。臨時取締役会が招集された。そこで決議されたのが株式上場の中止である。我々にとって苦渋の選択だった。この結果を東証に報告し受理されると、数時間後には経営企画室の外線がひっきりなしに鳴り続けた。マスコミの取材だった。
翌日には日経新聞に我々が上場を断念したことが大々的に取り上げられた。また、同時期に我々だけでなく数社が上場を取りやめたことにより、数日後の日経新聞紙上でもちょっとした特集が組まれ、私のコメントも実名付で掲載された。
転職以来一番の目標にしてきた株式上場への挑戦はかくして幕を閉じた。後日談であるが、既に同社を退任されている当時の金川社長の回顧録によると、在任中で一番悔しかったのが、この上場取り止めの判断だったそうだ。
私も経営企画室長として、この会社の将来をそして自分自身の未来をゼロから見つめ直すことが求められた。
(次回につづく)
No. 224 第3章 「再挑戦」
Masa Kokubo
1995年中央大学法学部卒。損害保険会社勤務後、アイオワ州の大学院にてMBAを取得。その後、メガバンク、IT企業を経て、現在はグローバル企業にて世界を相手に奮戦中。趣味はサーフィンとラクロス。米国生活は通算7年。
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