天職 番外編
(前回まで) 父の死と前後して勤務先であるメガバンクを辞める意思を固めた私は、会社を経営破たんから防ぐことを今後のライフワークにしようと志すようになった。最終的には、渋谷にあるベンチャー企業の経営企画マネージャー職に落ち着くのだが、転職活動は当然ながら“山あり谷あり”であった。
2005年冬。私は千代田区麹町のとあるビルの前に立っていた。「もう4年半か」。そうつぶやき、ビルの中に入っていった。数週間前。転職あっせんのコンサルタントから一本の電話が入った。「この案件は小久保さんのご意向に合うか微妙なところなんですが。」。送られてきたメールにある募集要項に目をやると、独自にMBAプログラムを展開している会社の講師の募集が記載されていた。是が非でも手に入れたいポジションではないものの関心はある。受験するつもりで募集要項を詳しく見ていくと、ある部分で目が止まった。
「面接会場:千代田区二番町5-1」
記憶にある住所である。「まさか」とインターネットで調べると、私が一番最初に働いた第一火災海上保険の本社ビルの住所であった。
この独自MBAを展開する会社は、世のトレンドも手伝ってか飛ぶ鳥を落とす勢いであった。それを象徴するかのように旧第一火災海上本社ビルの内装は豪華絢爛なものに塗替えられていた。受付で氏名と要件を伝えると、4階に行くように伝えられた。第一火災海上麹町本社ビル4階。当時そこは“神々が住むところ”と言われた、まさに同社の中枢が存在したところであり、そして私が3年間勤務したところであった。“皮肉なもんだ”そう思いながらエレベーターに乗り込んだ。
4階に着くと、日本テレビ通りに面した応接室に通された。当時はこの応接は無く、この会社が新たに造作したものであった。“このあたりは販売組織部の高岡部長の席があったあたりだろうな”そう思うと、多くのことが思い返された。
第一火災海上は2001年の3月末日付で解散となった。留学のため3月20日に渡米しなければいけなかった私は最後の瞬間には立ち会えなかったのだが、その話は同僚たちから繰り返し聞かされた。一言で表現するなら“敗戦国が占領軍の上陸を許した瞬間”だったそうで、誰一人涙流さない者はいなかったようだ。
4年半前、「これからは業界のリーディングカンパニーで天下取ってやる」と多くの同僚が意気揚々と同業他社に散らばっていった。しかしそのような浮かれた状況も時間の経過と共に薄れ、我々敗者に待っていたのは厳しい現実だった。神々の住むところの元住人として私にできることは、これ以上の悲劇を繰り返させないことだ。だから、今こうして転職活動をしている。
残念ながらこの会社とはご縁は無かったが、第一火災海上本社の地を再び踏めたことで、自分が進むべき道に確信をもつことができたのだった。
(次回につづく)
No. 175 第3章 「再挑戦」
Masafumi Kokubo
1995年中央大学法学部卒。損害保険会社勤務後、アイオワ州の大学院にてMBAを取得。その後、メガバンク、IT企業を経て、現在はグローバル企業にて世界を相手に奮戦中。趣味はサーフィンとラクロス。米国生活は通算7年。
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