天職 Part3
(前回まで) 父の死と前後して勤務先であるメガバンクを辞める意思を固めた私は、会社を経営破たんから防ぐことを今後のライフワークにしようと経営企画職への転身を目指すようになった。そのような中、渋谷にあるベンチャー企業に心惹かれるようになっていた。
2005年冬。渋谷にあるベンチャー企業の最終面接を翌日に控えた私は、深夜までこの会社の企業研究を続けていた。悩んでいたことは実にシンプル。“この会社のビジネスは本当に大丈夫なのか?”ということ。机の上には、同社が展開する“マルチベンダーサポート”のイメージ図が開かれていた。
“IT時代の町の電気屋さん”を標榜する同社は、ユーザーの“困った”を解決するノウハウが強みであった。IT機器はアナログ機器と違って、ネットワークを介し様々なデバイスと接続される。故に、困ったが発生した時の原因は他のデバイスに起因していることもある。そのような時、一般的なメーカーのヘルプデスクは「ここから先は他社製品となるので、サポート対象外となります」とお断りするのが通例。ところが、この会社が提供するマルチベンダーサポートは、その名の通りそのようなケースも対応できるのが強みで、IT時代に沿ったスタイルのサポートビジネスである、というわけだ。
一見理にかなっているのだが、そこに社員として身を投じるとなると、そのビジネスの成長性など疑問と不安は後を絶たなかった。結局夜が白み始めても最終回答は出ず、「もうこうなったら社長に聞くしかない」と開き直った。
数時間後、社長面接が始まった。社長は中学からずっとバレーボールをプレーし名を馳せた人物だった。すべてのチームにおいてキャプテンを務めたという。大柄な体格が生まれ持っての親分という印象をより引き立てていた。フランクな会話を誘引するのが上手で、面接開始から数分でこんなやり取りになった。 「うちの会社どう思う?」 「それをずっと考えていました。御社のビジネスは成長余地があるのか?考えるだけ考えても結論が出ませんでした。だから本日社長に直接伺ってみよう、という気持ちで参りました。」
社長はおもむろに机の隅にあったモニターの電源をオンにし、プレゼンテーション資料を投影し始めた。そこには数時間前まで私が目を凝らして見ていたマルチベンダーサポートの絵があった。社長がマウスを操作すると、画面にアニメーションが浮かび上がった。そこには、ユーザーに向けて矢印が延びており、“販売活動”と書いてあった。
社長が口を開いた。「いいですか。うちのサポートスタッフはユーザー宅に上がり込んでいるんですよ。その彼らが営業マンに変わるのです……」これで勝負ありだった。
年明け、私の勤務先だったメガバンクが経営統合により新銀行としてスタートしたその瞬間、私はこのベンチャー企業の一員として働き始めることとなったのであった。
(次回につづく)
No. 174 第3章 「再挑戦」
Masafumi Kokubo
ミネソタ州ウィノナ在住。1995年中央大学法学部卒。損害保険会社勤務後、アイオワ州の大学院にてMBAを取得。その後、メガバンク、IT企業を経て、現在は全米最大の鎖製造会社の副社長を務める。趣味はサーフィンとラクロス。
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