天職 Part1
(前回まで)「世界をまたにかけて働く」ことを幼少からの夢としていた私は、意と反して損害保険会社に入社。順風満帆な生活を送っていたが、会社が急きょ経営破たん。その後の人生を切り開くために渡米。悲願のMBAを取得し日本に凱旋帰国したが、帰国から1年も経たず父が他界した。
父の死と前後して、勤務先のメガバンクを辞める意思を固めつつあった。今の仕事よりもっとやりたいことが他にあって退職を考えるのが一般的であるが、前回寄稿した通り、勤務先の合併話に端を発し、新銀行で辿るであろう将来に幻滅して退職の意を固めた、というのが実態だ。ゆえに、次に何をするべきか? というテーマに直面せざるを得ず、それは当然私のこれからの人生に多大な影響を与えるものだから、重圧となって肩にのしかかっていた。
転職先については、今まで積み上げてきたキャリアの延長線の模索という方向性があった。しかし、市場の成長性としては限界にきている金融業界にはすでに魅力を感じていなかった。つまり、この先は合理化しかなく、どこに行っても早かれ遅かれ勤務先と同様のことに巻き込まれると予見していた。
もう一つの方向性は、全く新しいことへのチャレンジだ。こちらの選択肢は、可能性は無限大なものの、私は何をするべきなのか? という問いかけから始めなくてはならない。また、経験値無しで飛び込むため、大幅な年収ダウンや就職活動自体が難航するといったリスクは必ず付きまとうとみていた。
そのような中で、たまたま開催された最初の会社の同期会がひとつの転機となった。私を除くほぼ全員が同業界(損害保険)に転職していた。この時、会社の経営破たんから4年半が経過しており、皆それと同じ年数をすでに新しい職場で重ねていた。私の目に映った同期たちは一様にひどく疲れているように見えた。そしてそれは、業務過多による疲労ではなく、精神的なことに起因していることは明らかであった。
以前、私が留学先から一時帰国した際にも同期で集まる機会があった。その時は皆、いかに今の職場環境が前の職場(つまり我々が在籍した会社)より勝っているかを競い合うかのように自慢しあっていた。それが、今目の前にいる面々は本当に同一人物かと疑うほど別人のようになっている。
簡単に言うと、時間の経過と共にわが社出身者は不利な立場に置かれるようになっていった。それは出世競争だけでなく給料など待遇面にも及んだ。彼らによると、我々の会社でエース級だった人たちの多くも今や冷や飯を食っているそうだ。
帰路、最初の会社での出来事を思い出していた。私を育ててくれた会社であり、その人たちが苦しんでいる。会社の破たんは悲劇を生む。それは社会的に正しいことではない。そう思うと、会社を潰さないようにすることをこれからの仕事としていきたい、と漠然と考えるようになった。
(次回につづく)
No. 172 第3章 「再挑戦」
Masafumi Kokubo
ミネソタ州ウィノナ在住。1995年中央大学法学部卒。損害保険会社勤務後、アイオワ州の大学院にてMBAを取得。その後、メガバンク、IT企業を経て、現在は全米最大の鎖製造会社の副社長を務める。趣味はサーフィンとラクロス。
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