第1号案件
(前回まで)「世界をまたにかけて働く」ことを幼少からの夢としていた私は、意と反して損害保険会社に入社。順風満帆な生活を送っていたが、会社が急きょ経営破たん。その後の人生を切り開くために渡米しMBAを取得。その後メガバンク勤務を経て、経営企画マンとしてのキャリアを積むため、渋谷にあるベンチャー企業の門を叩く。入社から1年半後、子会社であるISP社の立て直しのため転籍、副社長に就任した。
「NTTさんから仕事もらってきました!」。大声とともに、大柄な営業マンが新宿住友三角ビルにあるQAM社の事務所に飛ぶように戻ってきたのは、2008年5月のある日の夜のことであった。事務所は一気に歓喜の輪に包まれた。その光景を横目に見ながら、人事や財務を統括する私は、ほっと胸を撫で下ろした。
今まで寄稿したように私と社長は新生QAM社の再出発を“第2の創業”と名付け、マーケティング事業を垂直立上げで開始した。即ち、その基盤となるコールセンターの構築と必要な人材採用を一気に実行した。最新鋭の設備を存分に搭載したセンターは圧巻であり、20倍近くに膨れ上がった社員数は、この第2の創業の勢いに拍車をかけた。ところが、この勢いは経営健全性という視点に対しては危険性を伴っていた。それは、この垂直立上げしたヒト・モノが売上を上げるために有効活用されているか、ということなのだが、この膨れ上がったヒトとモノを充足させるだけの仕事は存在しなかったのである。未稼働のヒトとモノは、そのままコストとなる。それらは人件費・償却費・家賃の三重苦となって私の肩にのしかかっていた。
この大柄な営業マンがNTT東日本からもらってきた新案件により、QAM社は息を吹き返したかに見えたが、そうは問屋が卸さなかった。一般的に新規の仕事を受託すると、最初は不慣れであるがゆえパフォーマンスが低い。しかし、時間と共に所謂ラーニングカーブと呼ばれる習熟度が向上しパフォーマンスが上がっていく。そうすると、残業者が減ったり従業員が明るい顔をしていたりと目に見えてプラスの効果が表れてくるものだ。ところが、6月に入っても一向にその気配は感じられず、逆に従業員の顔に疲労感が明確に漂いはじめ、殺伐とした空気が流れることも増してきた。案件を獲得した営業マンが電話越しに謝っている光景もごく普通になってきた。営業側はパフォーマンスが上がらないコールセンター側を罵り、コールセンター側は“こんな悪条件の仕事を取ってきて”と営業を責め立てた。さらにそこに、従業員に過重労働させている実態に眼を瞑れなくなった私が参戦するという三つ巴の様相も呈してきた。明らかに状況は悪化の一途をたどっていた。
そしてついに、このQAM社としての最初の案件を継続するか否かの議論が、案件開始からひと月半ほど経った6月末に招集された臨時取締役会で行われることとなった。その場で社長の口から飛び出した言葉は、QAグループの将来の急成長を占うものであったのだが、その話はまた次回にしたいと思う。
(次回につづく)
No. 197 第3章 「再挑戦」
Masa Kokubo
1995年中央大学法学部卒。損害保険会社勤務後、アイオワ州の大学院にてMBAを取得。その後、メガバンク、IT企業を経て、現在はグローバル企業にて世界を相手に奮戦中。趣味はサーフィンとラクロス。米国生活は通算7年。
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