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【My Destination】第3章 「再挑戦」晴天の霹靂 Part 3
(前回まで)人生かけてのキャリアチェンジを行うため、渋谷にあるベンチャー企業に飛び込んだ私。そこでの究極のゴールがIPO(株式上場)であった。IPO申請は2回頓挫、「三度目の正直」となった今回は東京証券取引所(以下、「東証」)への上場申請にこぎ着け、東証による上場審査の真っただ中で、2011年3月11日を迎えてしまった。
震災発生以降、我が社は経営のかじ取りを大きく変えざるを得なかった。それまでは来るIPOをどのように迎えるか、更には上場企業としてその後の成長戦略をどう描くか、ということにフォーカスしていた。ところが震災がすべてを変えた。以前寄稿したように我が社の収益の大半が仙台にあるオペレーションセンターによってもたらされており、その一番重要と言っても過言ではない拠点が、被災してしまった。ゆえに、経営は仙台オペレーションセンターの復旧を最優先課題とした。
そのような中、3月決算の我が社の2010年度が終了した。2011年度は、新予算で臨むのだが、その予算案は震災前に東証に提出している。この時点では、このような状況ではあるものの、まだ会社としてIPOを断念している訳ではなかったので、その提出済の予算案をそのまま適用することとした。これがどうやら東証の猜疑心に火を付けたようだ。
我が社の利益が仙台に依存していることは、周知の事実であり、その仙台が被災して通常のオペレーションを行えていないことも明白であった。にも関わらず会社は、震災がない前提の計画のことを達成可能と言い続けている。上場企業は決算発表と共に新たな年の業績予想を公表する義務があるのだが、この頃、震災の影響が読めないとして、業績予想の公表を控える会社が出始めていた。その中での当社の態度は、それを実行している私自身にも不自然すぎるくらい不自然なものとして映っていた。
そして、震災からひと月ほど経った4月中旬のある日、“IPOの生き字引き”の異名を取る幹事証券会社の担当者が我が社の社長を訪ねてきた。既に彼と私の間では、東証の猜疑心を晴らす手段は無いということで合意していた。彼は開口一番、「社長。ここは一旦上場申請を取り下げてください。」と言った。社長の顔がみるみる赤くなった。「違うんです。ちゃんと策があってこう申しています。」とりなしたのは私であった。
彼の策はこうであった。東証は東証の口から我が社の上場を見送るということは言わず、時間切れとなるのを狙っている。でもそれでは心証が悪い。ゆえに、こちらから取り上げると切り出し、逆に後日業績の見通しがついたところで最も簡易的に審査を再開するという約束を東証から引き出す、というものだった。
社長も状況は人一倍分かっている。この提案に二つ返事で首を縦には降らなかったものの、形上は渋々折れたかたちで賛同したのだった。
その日の夜、“IPOの生き字引”と私は会社近くで盃を交わした。「あそこで、あの言い方はないでしょ?」と私が言うと、「私があのように言わなかったら、社長は自分から上場延期するって言えなかったでしょ?」と切り返した。ごもっともである。東証も東証なら、経営者も経営者で、自分の口から上場延期のことは切り出せなかったのだ。
“なぜまた我々だけが?”そう思うところは多々あるが、このような形で我が社の3回目となるIPOチャレンジは終了することとなった。
(次回につづく)
No. 220 第3章 「再挑戦」
Masa Kokubo
1995年中央大学法学部卒。損害保険会社勤務後、アイオワ州の大学院にてMBAを取得。その後、メガバンク、IT企業を経て、現在はグローバル企業にて世界を相手に奮戦中。趣味はサーフィンとラクロス。米国生活は通算7年。
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