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【My Destination】第3章 「再挑戦」晴天の霹靂 Part 2
(前回まで)人生かけてのキャリアチェンジを行うため、渋谷にあるベンチャー企業に飛び込んだ私。そこでの究極のゴールがIPO(株式上場)であった。IPO申請は2回頓挫、「三度目の正直」となった今回は東京証券取引所(以下、「東証」)への上場申請にこぎ着け、東証による上場審査の真っただ中で、2011年3月11日を迎えてしまった。
3月12日朝。妻の生家を取り壊し更地となった場所で、今後建てられる二世帯住宅の地鎮祭が行われていた。以前から予定されていたとはいえ、昨日の今日でこの地鎮祭を開催できたこと自体が奇跡である。だが、心はここにあらずで、神主をぼんやりと眺めながら様々なことに思いを巡らせた。
地震発生から24時間経っていないその時は、当然ながら被害の全容は把握できていないし、厳密にいうとその後も福島原発事故に代表されるように2次災害は大なり小なり拡大していく。ただ、時間の経過と共に徐々に明らかになってきたことが増えてきている。被災地は東北で、沿岸地域の被害は甚大。これは既に動かしがたい事実となっていた。
その時から遡ること15年前。社会人二年目の私は、勤務先の損害保険会社から岩手県の一関勤務を命じられていた。一関のテリトリーに沿岸地域もあり、そこには有力代理店も多数存在したことから、毎週1回は気仙沼、陸前高田、大船渡に点在する代理店を巡回していた。震災発生以降TV画面で延々と流れる被災地の映像には、私が慣れ親しんだ地域もところどころ映っていた。確実に、私がお世話になった代理店が津波などの被害を被っている。突如、当時のある出来事が思い起こされた。大船渡にある有力代理店を訪問した際、その店主のお母さんから昔のチリ地震の時の津波被害の生々しい体験談を聞いた。その時は、まさかそんなことが再発するはずないと思っていたのに、今現実にそれが起きている。
週末というのに経営企画室長の私の携帯電話はひっきりなしに鳴っている。電話の数と共に、我が社の利益の大半を生む仙台オペレーションセンターの状況がだんだんと明らかになってきた。交通機関もマヒし、帰るに帰れない従業員たちがセンター内に数多く取り残されている。停電し食料も限られているという。更には、3月11日非番であった従業員のうち、行方不明になっている者もいるらしいとのこと。食料や水などを大量に積んだ一隊が渋谷本社を出発するのは数日後だが、その話は一旦ここまでとする。
上場申請会社の窓口である私のもとに、東証の上場審査部の担当者からの連絡も頻繁に入ってくるようになっていた。決まって、「仙台の状況はいかがでしょうか?」である。再開の目途はつかない、という現状を言ってしまうのは簡単だが、そうすることで保守的な東証は我々の上場を見送る可能性がある。いずれにしても、当社のオペレーションの大半を仙台が占める以上、当社の利益はマイナスの方に振れるのは確実だ。そして、それは確実にIPO審査にネガティブに働く。
私は多くの時間を、幹事証券会社の当社担当者との作戦会議に充てている。彼は証券業界でも“IPOの生き字引き”として有名な人物であったが、その人をもってしても、今回の見通しは全く立たない状況となっていた。
(次回につづく)
No. 219 第3章 「再挑戦」
Masa Kokubo
1995年中央大学法学部卒。損害保険会社勤務後、アイオワ州の大学院にてMBAを取得。その後、メガバンク、IT企業を経て、現在はグローバル企業にて世界を相手に奮戦中。趣味はサーフィンとラクロス。米国生活は通算7年。
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