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【My Destination】第3章 「再挑戦」IPO(株式上場)申請
(前回まで)「世界をまたにかけて働く」ことを幼少からの夢としていた私は、意と反して損害保険会社に入社。順風満帆な生活を送っていたが、急きょ会社が経営破たん。その後の人生を切り開くために渡米しMBAを取得。その後メガバンク勤務を経て、新たなキャリア形成のため、渋谷にあるベンチャー企業の門を叩く。子会社での副社長経験を挟みつつ、経営企画業務全体を取り仕切る毎日。そのような中、「三度目の正直」となるIPO申請が迫りつつあった。
2011年2月下旬のある日。渋谷の会社前に横付けされた2台のタクシーに、我々は分乗しようとしていた。まず一台目に社長、私の上司である常務、そして私が乗り、もう一台に膨大な資料が詰められた数個の段ボール箱と共に経理部長が乗車した。見送る私の部下や社長秘書に会釈し、社長に向かってこう言った。「やっとこの日が来ましたね」。社長はそれには答えず、「東京証券取引所まで」と手短に運転手に告げた。その日の東京は、真冬でもあるのに季節外れの大雨に見舞われていた。その中を2台のタクシーは茅場町に向け発進した。
3度目の挑戦となるIPO準備が始まったのが2010年の秋のことだった。そこから「最速」で準備を行い、証券会社による上場審査に臨むこととなった。前回のIPO準備が頓挫したのは、当時の幹事証券会社であったみずほインベスターズ証券のスキャンダルであり、その内容が同社の上場審査の甘さに起因したものであった。そのような背景もあって、当社が今回受けた上場審査は過去に例を見ない厳しいものとなった。すべての質問事項に対して「なぜ?」と理由を問われる。その理由を伝えると、「その理由の客観的合理性を示せ」と言われエビデンスの提示が求められた。極めつけは、当社最大の顧客であったNTT東日本に対して実施された審査部によるヒアリングだった。そのような難関も全てクリアし、東京証券取引所(以下、「東証」)に対して上場申請を行うことにたどり着いた。
タクシーが東証の前に停車した。助手席にいた私が運賃の支払いを行っている際、常務の悲鳴ともとれる叫び声が後ろから響いた。なんと後部ドアが開いたところの真下にこの大雨で出来た大きな水溜まりがあり、それに気付かなかった常務がそのまま左足をすっぽりと水溜まりの中に突っ込んでしまったのであった。“不吉だ”と内心思ったがその二文字を口にしてはいけない。「大丈夫ですか?」と取り繕ったが、続く社長も同じことを感じていたのだろう。逆に、笑い飛ばすことでシリアスな空気が漂うのを避けた。
それから約10分後。我々は東証の一室で、同取引所の新規上場を担当するメンバーたちと対面した。今まで証券会社の人たちとは何十人と顔を合わせてきて、彼らが一様に持つ証券業界特有のカラーのようなものを理解するようになっていたが、東証の人たちからはそのカラーは感じられず、むしろお役人のように感じられた。でも時折見せる責任者の眼光の鋭さから、まるで“上場審査の最後の守護人”のような厳格さが伝わってきた。
これが東証に対する上場申請のセレモニーとなり、東証による当社に対しての上場審査の始まりであった。
(次回につづく)
No. 217 第3章 「再挑戦」
Masa Kokubo
1995年中央大学法学部卒。損害保険会社勤務後、アイオワ州の大学院にてMBAを取得。その後、メガバンク、IT企業を経て、現在はグローバル企業にて世界を相手に奮戦中。趣味はサーフィンとラクロス。米国生活は通算7年。
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