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【My Destination】第3章 「再挑戦」三度目のIPO(株式上場)チャレンジ
(前回まで)「世界をまたにかけて働く」ことを幼少からの夢としていた私は、意と反して損害保険会社に入社。順風満帆な生活を送っていたが、急きょ会社が経営破たん。その後の人生を切り開くために渡米しMBAを取得。その後メガバンク勤務を経て、新たなキャリア形成のため、渋谷にあるベンチャー企業の門を叩く。子会社での副社長経験を挟みつつ、経営企画業務全体を取り仕切る毎日。そのような中、2回目のIPOチャレンジが幹事証券会社のスキャンダルで水の泡と帰した。
2回目のIPO準備が水の泡に帰したとはいえ、会社としてIPOを諦めるわけにはいかなかった。2回目の終了は、即ち、3回目の開始でもあった。
新たに幹事証券会社を引き継いだ会社は、我々に対して最速で上場させると公約していた。ただ、その“最速”を実現するのは証券会社だけではなく、主語は当社、もっと正確に言うと私率いるIPO準備チームだった。前回寄稿した通り、私が一番信頼していた右腕が、2回目のIPO頓挫でいわゆる燃え尽き症候群となり、会社を去った。大幅な戦力ダウンのまま最速のIPO審査に臨むのは自殺行為である。社長に陳情を行ったところ、想像以上の人員補強が行われる運びとなった。即ち、社外から中途採用を行ったほか、社内で以前から目をつけていた元気な中堅社員を半強制的に引っ張ってきた。極めつけは、関西にいる古株の執行役員を特命人事として私の下に付ける配置が行われた。
このような背水の陣とも取れる人事が2010年10月1日に発足し、新生経営企画部はIPOを目指して再稼働した。長時間残業が恒常的に行われ、何かしらのマイルストンが近づくと徹夜しないと間に合わないくらいまで追い込まれた。おそらく、私の人生の中で一番体に鞭を打って働いてきた時期であったと思う。なお、そのような状況でも、仕事の目処が付きそうになると、異動してきた中堅社員が皆に声をかけ、終電まで飲んで帰るような毎日だった。でもそのおかげで、新生チームの結束力が短期間で高まったといっても過言ではない。
“忙しいときに限って”ではないが、私の身の回りでもその忙しさに拍車をかけるようなことが起きていた。この時私は37歳になっていたが、そろそろマイホームを持ってもよい頃と考え、新宿区にある妻の実家を2世帯住宅として建て替えることにした。一世一代のプロジェクトであるため、設計段階から主体的に入り込んだのは良いものの、結果として週末などは全てそれに費やすこととなった。
また、IPOを実現するまでまとまった休みは取れないと悟り、2010年12月初頭に3泊5日でのハワイ旅行を敢行した。この時は木曜の業務終了後、そのまま羽田空港に向かい、月曜夜に帰国。火曜の朝は何事も無かったかのようにオフィスでPCに向かっていた。この時から数年して私が退職することになるのだが、その送別会の席上、当時私のチームに編入されていた関西の執行役員が、送別の言葉として、「小久保さんはあの忙しい中、弾丸ハワイ旅行を敢行した。その体力と図太い神経に脱帽した」と会場から笑いを取っていたのが思い出される。
そんなこんなで多忙な毎日を送っていた。そして2011年を迎えることとなった。そこから会社は、IPO申請に向けて更に加速していくことになる。
(次回につづく)
No. 216 第3章 「再挑戦」
Masa Kokubo
1995年中央大学法学部卒。損害保険会社勤務後、アイオワ州の大学院にてMBAを取得。その後、メガバンク、IT企業を経て、現在はグローバル企業にて世界を相手に奮戦中。趣味はサーフィンとラクロス。米国生活は通算7年。
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