(前回まで)「世界をまたにかけて働く」ことを幼少からの夢としていた私は、意と反して損害保険会社に入社。順風満帆な生活も束の間、会社が経営破たん。その後の人生を切り開くため渡米しMBAを取得。メガバンク勤務を経て、新たなキャリア形成のため、渋谷にあるベンチャー企業の門を叩く。それから7年が経過して「幼少からの夢」を追いかけることを決意したところ、複数の資本政策案件が同時に舞い込んできた。
今の会社に対して「最後のご奉公」となるであろう複数の資本政策案件が好転し始めたころ、並行して行っていた転職活動にも良い兆しが見え始めていた。先般寄稿したように、夢の実現に向けて一切の妥協を許さない転職活動を行っていたため、紹介される案件自体が少なかった。そんな矢先、ある会社にダメもとで応募したところ、予想に反して書類選考に通ってしまったことから、この会社にターゲットを絞り活動を行っていくことにした。2013年1月末のことであった。
この会社は、重いものを持ち上げたり動かしたりする機器を製造する東証1部上場の老舗メーカーであった。バブル崩壊の影響を受け経営危機に見舞われたものの、経営改革を進めV字回復を実現させた。更に、6年前に就任した創業家出身の新社長は、辣腕を振るってグローバル化などの戦略を進め、その戦略の担い手としての中途採用を積極的に進めていた。ニッチな業界ではあるものの、日本でトップ、世界でも4位のマーケットシェアを有し、財務的にも安定していることなども含め、自分のニーズと完全にマッチしていた。
一次面接は2月下旬に行われた。面接官は経営企画部長であり、もしご縁があった場合は、この人は私の上司になる。数社で経営企画畑を歩んできたというこの方の、経営企画マンとしての実力がひしひしと伝わってきた。また、この方が抱いている現状に対する問題意識などにも共感が出来た。面接が終わる頃には、すっかりこの部長と一緒に働いてみたい、という気持ちになっていた。きっと、価値観が共有でき、同じ方向を見て仕事にあたれるはずだ。
それから約1週間後に二次面接に呼ばれることとなった。二次面接は経営企画管掌の役員と人事部長の予定であった。この会社は上場企業であり、多くの経営情報は一般の人でも見ることができる。それによると、この役員は一次面接の部長とは異なり、この会社の生え抜きである。なので、この方を通して会社の根幹となる文化を感じ取り、自分がフィットするかどうかを見極める、というのが二次面接に臨む私の方針となった。
そして二次面接を迎えた。面接会場に通された瞬間に、肌で感じ取った空気がある。なんとも懐かしい感じだ。面接が始まりこの二人の面接官と話しているうちに、その懐かしさが確信に変わった。最初に働いた損保会社の空気だ。面接の終盤に、役員から一つのことを尋ねられた。今まででやり残したことは?という問いだった。この質問に対する事前準備はしていなかったが、とっさに次のような回答が口をついた。「タラレバですが、最初に勤務していた会社を復活させ、そのメンバーでもう一度業界上位を狙って無心に働いてみたいです」。
合否が確定する社長面接のお声がかかったのは、それからしばらくしてのことであった。
(次回につづく)
No. 234 第3章 「再挑戦」
Masa Kokubo
1995年中央大学法学部卒。損害保険会社勤務後、アイオワ州の大学院にてMBAを取得。その後、メガバンク、IT企業を経て、現在はグローバル企業にて世界を相手に奮戦中。趣味はサーフィンとラクロス。米国生活は通算7年。
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