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【My Destination】第3章 「再挑戦」最後のご奉公 Part 2
(前回まで)「世界をまたにかけて働く」ことを幼少からの夢としていた私は、意と反して損害保険会社に入社。順風満帆な生活も束の間、会社が経営破たん。その後の人生を切り開くため渡米しMBAを取得。メガバンク勤務を経て、新たなキャリア形成のため、渋谷にあるベンチャー企業の門を叩く。それから7年が経過して「幼少からの夢」を追いかけることを決意したところ、複数の資本政策案件が同時に舞い込んできた。
2013年1月ある日の夜。渋谷にある自社の経営企画部長席で、私はこの複数案件をどのようにマネージしていくか何度も考え直していた。そんな時、「部長、飲みに行きませんか?」私の苦悩を察したのか部下たちが声をかけてくれた。これ以上考えても答えは出ない。二つ返事で快諾したのは言うまでもない。
「最初に勤めていた会社が潰れて…」。アルコールが多少進んだ頃、ふとそんな言葉が口をついた。私が27歳の時に勤務先の損保会社が破綻した。若かったこともあるのだろう、そこに骨をうずめるつもりで人生プランを明確に描いていた私は途方に暮れた。そこで私は心機一転、米国でのMBA取得に舵取りを切り替えた。一方、同業他社に転職していった大多数の同僚たちには、しばらくしてから大きな試練が訪れることになった。“敗軍の残兵”ではないが、現在では考えられないような差別的な冷遇を受けることになったのである。
同様の事は前職でも起きている。当時勤務していたメガバンクは、他の銀行を吸収して大きくなった。直前で飲み込んだ銀行出身者の待遇は良いものではなく、優秀な人材から辞めていった。そして、今度は我々が他のメガバンクに飲み込まれる時が来た。それと同時に私は今の会社に転職するのだが、転職から数年後に当時の同僚と飲む機会があり、そこで昔のエース級だった人たちがひどい仕打ちにあっていることを聞かされた。
一方、この会社に転職して始めて実施したM&Aでは、それまでの私の常識を覆すようなことが起きた。つまり、M&Aにより傘下に入った社員たちを無下に扱わなかったのである。結果、それらのメンバーの多くが実力を発揮し、数年前にNTT東日本から受注した大型案件を、今や会社一番の稼ぎ頭にまで昇華させる立役者となったのも彼らだった。
この時点で、自分の中で何かが吹っ切れた気がした。
私が経営企画職を志すようになったのは、最初の会社のような悲劇を繰り返さないため。一方、私が指揮するM&Aというもの自体が、そのやり方次第で悲劇を生んでしまう可能性を大いにはらんでいる。会社の戦略もさることながら、そこで働く人の人生を考えないといけない。それが良くなるようにするのが私の使命だ。だったら私が担当するM&Aは、人を大切にすることを最優先にしよう。
「部長もう一軒行きましょう!」。この声で我に返った。若い会社には勢いがある。「そうだな」。そう言ってこの店を後にしたのだが、この時以降、これが私のM&Aに対する考え方の基礎となり、その後のステージでさらに洗練されることとなっていく。
(次回につづく)
No. 233 第3章 「再挑戦」
Masa Kokubo
1995年中央大学法学部卒。損害保険会社勤務後、アイオワ州の大学院にてMBAを取得。その後、メガバンク、IT企業を経て、現在はグローバル企業にて世界を相手に奮戦中。趣味はサーフィンとラクロス。米国生活は通算7年。
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