- ホームページ
- My Destination
- 【My Destination】第3章 「再挑戦」復職後のミッション
【My Destination】第3章 「再挑戦」復職後のミッション
復職後のミッション
(前回まで)経営企画マンとしてのキャリアを積むため、渋谷にあるベンチャー企業に転職した私。入社から1年半後、子会社であるQAM社の立て直しのため副社長として転籍。数々の生みの苦しみと試練を乗り越え、あともう一歩で会社が軌道に乗るというところで、最大の協力会社が経営破たん。それを機に、私は断腸の思いで親会社に吸収合併してもらうことを決意した。
2009年4月1日付で親会社に再入社したのだが、“本当にこれが1年半前まで私が勤務していた会社なのか?”と過去の記憶を疑ってしまうような出来事が日々起きていた。親会社は、私がQAM社に行っている間に大きな発展を遂げた。売上が飛躍的に増加、それを支えるための人員も倍近くに増えた。以前はこぢんまりとした所帯で、皆の顔と名前が大体一致していたのだが、今は知らない顔の方が多い。それに連動し、組織も増えている。経営企画室長という立場となると、すべての組織のトップと何かしらの形で関りが生じるのだが、以前からそのポジションにいる人は全組織の半分程度だった。何もかもが新鮮に感じられて当然である。
再入社から数日後、金川社長より呼び出しがあった。通常なら出社初日に挨拶するべきある。しかし、“QAM社の解散により多くの方に迷惑をかけた。その中でも一番迷惑をかけたのが親会社の金川社長である”という十字架を背負ったような心境であったため、自分から積極的に動けなかったのだ。
社長室に通されると社長は開口一番、「どうだ、久々の渋谷は?」といつものフレンドリーな感じで語りかけてきた。私が「QAM社の件は本当にご迷惑をおかけしました。その罪悪感で面を上げることが出来ません」といったところで社長が遮った。「そんなこと、誰ももう何とも思っていないよ。それよりか、やっとお前が帰ってきてくれたので、今までやりたかったことに着手したいのだが」と前のめりになった。金川社長が相手を説得にかかるときの常套手段である。この一種の圧力を伴う説得により、3年前の私は、この会社に人生をかけることを決心したのであった。
金川社長から通達されたのは以下3点である。まずは、IPO(株式上場)を目指した各種準備。これは既に進行中のプロジェクトなのだが、経験ある私をリーダーとして追加することで、プロジェクトに勢いをつける狙いがある。続いては、M&Aの積極的な推進である。社長は従前より成長戦略の主軸のひとつにM&Aを位置付けたかった。しかし、手数が足りず本腰を入れることが出来なかった。これを私が復帰したことを皮切りとして本格的に進めることとなった。そして、株主対応である。この会社は金川社長が出身母体である総合電機メーカーの社内ベンチャー制度で立ち上げた会社なのだが、出身母体のみに頼ることを是としない金川社長が、あちこちの企業などを回って出資を募った。そしてその法人株主の数は、今や20社以上になっていた。
これらは、その後私がこのベンチャー企業を退職するまで取り組んでいくミッションとなり、言わずもがなであるが、今後の連載の中心となっていくようなスリリングなものばかりであった。でも、その経験のおかげで、今現在も一段上のステージで活躍することが出来ていると自負している。
(次回につづく)
No. 209 第3章 「再挑戦」
Masa Kokubo
1995年中央大学法学部卒。損害保険会社勤務後、アイオワ州の大学院にてMBAを取得。その後、メガバンク、IT企業を経て、現在はグローバル企業にて世界を相手に奮戦中。趣味はサーフィンとラクロス。米国生活は通算7年。
シェアする