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【My Destination】第3章 「再挑戦」取引先の経営難 最終章
帰結 Part2
(前回まで)経営企画マンとしてのキャリアを積むため、渋谷にあるベンチャー企業に転職した私。入社から1年半後、子会社であるQAM社の立て直しのため副社長として転籍。数々の生みの苦しみと試練を乗り越え、あともう一歩で会社が軌道に乗るというところで、最大の協力会社が経営破たん。それを機に、私は断腸の思いで“勇気ある撤退”即ち、会社が毀損する前に親会社に吸収合併してもらうことを決意したのだった。
2009年3月31日24時をもってQAM社は解散、すべての業務と従業員は親会社であるQA社に法的に引き継がれた。しかし、従業員にはいわゆる“職業選択の自由”がある。8割近くの従業員が親会社に行くことを選んだが、残りは別の道を行くことを選択した。その者たちは、1年前にこの会社の理念と社長の掲げる将来ヴィジョンに共感してQAM社で働くことを選択した。その人たちはQAM社に対する想いが人一倍強かった、と私は考えた。それからというもの、“この人たちの人生を狂わせてしまった”という自責の念にさいなまされた。
遡ること約8年。最初の勤務先である第一火災海上保険が経営破たんし、同僚たちは別の会社に散っていった。第一火災海上保険より体力のある会社に移った者がほとんどで、その会社の威光もあってか最初は新しい環境を誇りに思っているようにみえた。でも、それも束の間で、移籍から3年位経つとほぼ全員が「敗戦国出身者」として肩身の狭い境遇に追いやられていた。それを見るに忍びなく、“諸悪の根源は会社が潰れてしまったこと”と捉え、同じような被害者をこれ以上増やさないために、メガバンクを辞め、会社の進退に大きな影響を持つ経営企画マンとして新たな人生を踏み出したのだった。
でも、志はこのような形で、初期段階からから躓くこととなってしまった。
QAM社は私が転籍してわずか1年半でその歴史に幕を閉じた。しかし、その存在がQAグループにもたらした「功」の部分は、「罪」の部分を補って余る。一番の功績はNTT東日本との関係だ。QAM社第1号案件としてNTT東日本から仕事を頂いたが、それは非常に難易度の高い仕事であった。会社も従業員も骨身にこたえるものであったが、それでも歯を食いしばって対応したことで、逆にNTT東日本に信頼され、門外不出の同社基幹システムがQAグループに設置されることとなった。後に、そのシステムのおかげでQA社は同社より大きな仕事を受注することとなる。それは、今に続くQA社の歴史において最大の転換点となった。
QAM社から移籍した人材はその後もQA社にて大活躍をした。今日、QA社は2009年当時とはその生業が多少なりとも変化し、オーナーも経営陣も大きく変わっている。当時の経営陣がほぼ一掃された中で、引き続き辣腕をふるっているのが当時のQAM社社長と営業担当役員である。
QAM社立上げの際に社長と共に語った夢は、DNAという形でQAM社出身メンバーによって脈々と受け継がれ、彼らがその後のQA社発展の立役者となったことから、日の目を見ることとなった。それが私と社長が断腸の思いで英断した結果の帰結であると今では思っている。
(次回につづく)
No. 207 第3章 「再挑戦」
Masa Kokubo
1995年中央大学法学部卒。損害保険会社勤務後、アイオワ州の大学院にてMBAを取得。その後、メガバンク、IT企業を経て、現在はグローバル企業にて世界を相手に奮戦中。趣味はサーフィンとラクロス。米国生活は通算7年。
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