M&A Part2
(前回まで) 「世界をまたにかけて働く」ことを幼少からの夢としていた私は、意と反して損害保険会社に入社。順風満帆な生活を送っていたが、会社が急きょ経営破たん。その後の人生を切り開くために渡米しMBAを取得。その後メガバンク勤務を経て、新たなライフワークに取り組むため、渋谷にあるベンチャー企業の門を叩いた。
2006年5月下旬。私は東京虎ノ門のオフィスビルに入居する会社の応接室にいた。社長を真ん中にして、左隣に営業担当の専務、その左に顧問弁護士。社長の右隣には私の上司である常務、その右に私が座り、相手が現れるのを待っていた。しばらくして扉が開き、恰幅の良い初老の男性ともう一名の男性が入ってきた。彼らはこの会社の社長と財務顧問。数か月前から仕込んできた企業買収の調印式がまさに始まろうとしていたのであった。この企業はソニーやシャープといった今までわが社とは縁が薄かった会社のコールセンター業務を請け負っている会社であった。この買収でコールセンター事業を譲り受け、そのような新たなクライアント企業の獲得と、そこに提供しているノウハウと人の獲得が我々の狙いどころであった。
調印式に先立ち、この企業からわが社に譲渡される契約や資産の確認が行われた。“シャープ株式会社PC事業の請負契約。続いて…”わが社の顧問弁護士が譲渡資産目録に記載されている項目を読み上げる。それを参列者がいわば「証人」として確認していく。“ソニーVAIOの…”と弁護士が口にした時、先方の社長が遮った。「ソニーのVAIOは渡さない」。血気盛んな営業担当専務が真っ先に立ち上がり、「それでは話が違う」と声を荒げた。私の上司である常務も「VAIOが譲渡されないなら、こちらから支払う3億円は再度見直しさせて頂く」と迫った。社長も立ち上がった。その時だった。
先方の社長が立ち上がり、「私は金川さん(わが社の社長)と一緒にやっていこうと手を握ったんだ。金額とかそういう問題ではないだろう」と全員に睨みを利かせた。理屈も何もない。ただ、この時のこの人は、元バレーボール選手で身長が190センチ近くあるわが社の社長より大きく見えた。ソフトバンクの立ち上げのメンバーだったこの社長は、今まで切った張ったの勝負を続けてきたのだろう。迫力が今まで会ってきた人たちとは全く違う。誰もが声を潜めた時、私が開口した。「VAIOを頂けず、かつ3億円を払うとなると、上場審査のための利益計画が達成できなくなります」。先方の財務顧問の顔がみるみるうちに赤くなった。
その時、金川社長が、「分かりました。その案で結構です」といった。私の隣の常務も「小久保大丈夫だよ。副社長(オペレーションの責任者)が何とかしてくれるよ」と冷静な口調で私を制した。後味の悪い調印式となったが、かくして、わが社はこの会社からコールセンター事業を手に入れ、これを中核事業の一つと位置付けて新たな成長ステージと進んでいった。
一方、私にとっては苦々しいM&A業務の黒星デビューとなってしまった。でも、この出来事は苦々しくも得難いものであり、以降、M&Aにあたる際の大きな教訓となって、今日に至っているのである。
(次回につづく)
No. 182 第3章 「再挑戦」
Masafumi Kokubo
1995年中央大学法学部卒。損害保険会社勤務後、アイオワ州の大学院にてMBAを取得。その後、メガバンク、IT企業を経て、現在はグローバル企業にて世界を相手に奮戦中。趣味はサーフィンとラクロス。米国生活は通算7年。
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