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【My Destination】第3章 「再挑戦」取引先の経営難 最終章
帰結 Part1
(前回まで)経営企画マンとしてのキャリアを積むため渋谷にあるベンチャー企業に転職した私。入社から1年半後、子会社であるQAM社の立て直しのため副社長として転籍。数々の生みの苦しみと試練を乗り越え、あともう一歩で会社が軌道に乗るというところで、最大の協力会社が経営破たん。それを機に、私は断腸の思いで“勇気ある撤退”即ち、会社が傷つく前に親会社に吸収してもらうことを決意、親会社の社長に面会を求めた。
2009年2月末日。私と社長は、親会社であるQA社の金川社長を訪ねていた。金川社長が会議室に入るや、「申し訳ございません」と我々は平身低頭した。社長は額を床につけたまま、「1年半前に大きな口を叩き会社を飛び出しましたが、昨日小久保と話し、この辺で会社を畳むことが今ある経営オプションの中で最善と決断しました。当時、私はこの会社の営業責任者、小久保は経営企画の責任者という立場を投げうったこと、更に多くの投資もして頂いたのにこの有様となったこと、罪は万死に値します」と詫びた。 金川社長が口を開いた。「お前ら、本当に良いのか? まだ資金も底ついていないだろ?」。私が、「債務超過(倒産の目安と言われる)からはほど遠いですが」と言いかけたところで金川社長が遮った。「俺はQA社を2回潰しているんだ。その度に、親会社のY電機には何十億円も支援してしてもらったんだ。その上でもう一度だけ聞くが、お前らは十分やり切ったのか?」
「はい。」下打ち合わせした訳でもないのに、我々は一寸の迷いもない回答を同時にした。金川社長はしばらく考えて、「分かった。あとは常務(私の元上司であり、経営管理を統括する役員)と進めろ」とだけ言って我々を咎めなかった。 それから数日後。社長と私はQAM全社員を一堂に集めた。そして社長の口から、QAM社を2009年3月末付で解散させる旨、そして、QAMの事業と従業員はすべて親会社であるQA社に移管される旨を伝えた。その場が重たい空気に包まれ、すすり泣く声があちこちから上がった。皆、社長と私のヴィジョンに共感してQAM社を選んでくれた人たちだ。その人たちが思い描いていた将来は、予期せぬ方向に向かいつつある。それを演出してしまったのは私である。でも、それが最善策であった。「これで良かったんだ」と繰り返し自分に言い聞かせるしかなかった。
私が最初に努めた第一火災海上保険が経営破たんし、その解散日となった2001年3月末日。その場に居合わせた社員で涙を流さなかった者は誰一人いなかった。私はMBA留学のためにその一週間前に日本を後にしておりその場には居なかったのだが、このような形で、それが再現されている。
QAM社の副社長就任以来、私が将来の後継者として手塩にかけて育ててきた者からの辞表が提出されたのは、この緊急ミーティングから数日後のことであった。深夜のオフィスで、その辞表を前に涙が止まらなかった。
(次回につづく)
No. 206 第3章 「再挑戦」
Masa Kokubo
1995年中央大学法学部卒。損害保険会社勤務後、アイオワ州の大学院にてMBAを取得。その後、メガバンク、IT企業を経て、現在はグローバル企業にて世界を相手に奮戦中。趣味はサーフィンとラクロス。米国生活は通算7年。
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