(前回まで)「世界をまたにかけて働く」ことを幼少からの夢としていた私は、意と反して損害保険会社に入社。順風満帆な生活も束の間、会社が経営破たん。その後の人生を切り開くため渡米しMBAを取得。メガバンク勤務を経て、新たなキャリア形成のため、渋谷にあるベンチャー企業の門を叩く。子会社での副社長経験を挟み、経営企画業務全体を取り仕切る中、遂に悲願の株式上場承認が降りたのだが、様々なリスクを鑑み上場を中止する決断をした。
閑話休題。先日50歳になりました。これからの10年は、それまでの10年間をどう過ごしてきたか?が大きく影響する事を今までの経験から学んできました。20代は保険会社でがむしゃらに突っ走り、更にMBAを取得。その結果、30代はメガバンクというスケールの大きなフィールドから始まって、ベンチャー企業にて経営企画職への華麗なる転身を遂げることができました。そして、そこで挙げた成果により、40代は更なる飛躍をするのですが、そこから先はネタバレになるのでこの辺にしておきます。いずれにしろ、40代もけた外れの挑戦を行ってきたので、これからの50代が本当に楽しみです。
この辺で話を2012年に戻します。今触れた40代の飛躍の礎となった30代の集大成を今回から綴っていきます。
2月1日は私がこのベンチャー企業に入社した記念日であって、毎年1月31日に、入社面接で私を取り立ててくださった方々にお礼のメールをするのが通例となっていた。例によって2012年もその日にお礼のメールを書き始めたのだが、2006年に入社した私は、かれこれ6年が経過したことに改めて気付かされた。あっという間の6年間であった。特にひと月前に株式上場の中止を決定するまで、ひたすら走り続けてきた。更に、この6年間という歳月は私にとっては特別な意味がある。それは新卒として就職した損害保険会社の勤務期間が6年間だったからだ。そんなこともあって、この日以降、私が一番長く在籍する会社はこのベンチャー企業となっていく。この時、ちょうど39歳になっていた。
2012年4月1日付の組織変更により、入社以降私を支え続けて来てくれた常務が経営企画担当から外れた。そしてその後釜で経営企画担当役員となったのが、一癖も二癖もある人で、多少なりとも仕事はやりにくくなった。ただ実際のところ、仕事は社長と直接行うことが多くなった。
話しは前後するが、2012年の年明け仕事始めの日。朝一番で社長室に呼ばれると、社長は新年の挨拶もそこそこに、「これからは上場の縛りが無くなったのでM&Aを今まで以上にやっていくぞ。本当に今までずっと我慢してきたから」と私に告げた。実際、M&Aを行うとその分上場審査が延びると幹事証券会社から勧告されてきたのだった。
年末年始に、上場を経ないシナリオでの会社の成長ストーリーを思案していた時、本音では私もアライアンスしかない、と思っていた。だから社長のM&Aを強化する、と言ったことには大賛成であった。そして社長の思いは直ぐ現実となり、一年後にはすごい形で実現していくことになる。
(次回につづく)
No. 227 第3章 「再挑戦」
Masa Kokubo
1995年中央大学法学部卒。損害保険会社勤務後、アイオワ州の大学院にてMBAを取得。その後、メガバンク、IT企業を経て、現在はグローバル企業にて世界を相手に奮戦中。趣味はサーフィンとラクロス。米国生活は通算7年。
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