(前回まで)副社長を務めていたQAM社は、ジャパネットたかたという強力なパートナーを手中に収め、インターネット回線販売事業での天下取りが目前に迫っていた。ところがQAM社の事業を長年支えてきた協力会社が資金難に陥り、今まで以上の資金援助を求めてきたのだった。
2009年1月下旬に召集されたQA社(QAM社の親会社)の臨時取締役会は、怒声と罵声が飛び交った。重要取引先であるIA社からの資金援助要請はかなりの高額で、社内規程により我々QAM社のみでは決裁できず、親会社であるQA社の取締役会の承認を要した。QA社取締役会での争点は、資金援助という行為自体より、そもそもIA社がパートナーとして適格なのか?という点に絞られた。IA社は完全実力主義の会社であり、実績が伴えば20代で取締役になることもできる(実際に20代の取締役は存在)。一方のわが社グループは、QA社社長の「社員は家族」という信念のもと、他社からも羨ましがられるフレンドリーな社風がある。取締役会での非難は、即ち、価値観が全く合わないIA社はパートナーとして論外ということであり、我々もその主張を退けることが出来ず、この提案は却下されたのであった。
その結果をIA社に伝えに行くのは私が引き受けた。そしてその事が、私の社会人経験の中でも最もタフな修羅場を迎えることとなった。
想定はしていたことだが、「資金援助に対して、親会社の許可がおりませんでした」と伝えて、「ああそうでしたか」で済む訳は無かったが、非常に大きな抵抗を受けた。当初は、私の説明が甘い、直接QA社の社長に時間談判に行く、という攻撃的な非難から始まった。それに対して“こちらも感情的になっては、その時点で負けだ。”そう自分に言い聞かせてじっと堪えた。気が付くと時間は24時を回っており、「また翌日も来てくれ」とIA社社長はそう言い残して会議室から出ていった。
翌日も同様のことが繰り返され、24時を回ったところで話し合いは翌日に持ち越された。事態が動き出したのは三日目のことだった。IA社の最高財務責任者が、いかに資金繰りが厳しいかという具体的な話を始めた。それを聞いた私は、背筋が凍てつく思いをした。IA社からは、以前から資金援助要請があり、それに対して当社は、同社に支払う業務委託費を前倒しで払うことで支援していた。この時点で、その額は数億円に上り、この数億円の前渡金が焦げ付くリスクが、まさに今、目の前で高まっている。すかさず私は、「御社の事情がどうであれ、弊社がお渡ししている前渡金はきっちり返済して頂きます」と返し、ここから、“そちらが先に支払え”“いやそちらだろ”という水掛け論が開始されてしまったものだから、さらに事態はややこしさを増し、交渉は平行線を辿ることとなった。
この交渉は1週間に渡った。私は毎朝IA社に直接出勤し、終電が無くなった後にタクシーで帰宅する日々を送った。内容は分からずも私がIA社に終日通い詰めていたものだから、QAM社内どころか、私がかつて所属していたQA社でも、私がIA社に軟禁されているという噂がまことしやかにささやかれていたそうだ。
(次回につづく)
No. 203 第3章 「再挑戦」
Masa Kokubo
1995年中央大学法学部卒。損害保険会社勤務後、アイオワ州の大学院にてMBAを取得。その後、メガバンク、IT企業を経て、現在はグローバル企業にて世界を相手に奮戦中。趣味はサーフィンとラクロス。米国生活は通算7年。
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