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【Hurricane INIKI’s Attack in 1992】30年前の手記より (1)
9月11日 ハリケーン・イニキ到来 Part1
2022年9月11日、エリザベス女王の死や21年前の9・11の報道が飛び交う中、「ハリケーン・イニキ襲来から30年」というローカルテレビのニュースキャスターの声が突然聞こえ、私の耳の奥に鐘のように響きわたった。
あの日のことが、あの日、イニキの真っ只中にいたことが思い起こされ、懐かしいような、時の流れの速さに一種のおどろきの気分にしばらく浸っていた。
「そうだ!」思い立って、私は30年の記憶を探し求めて、ほこりだらけになった「手記」をやっとこさ見つけた。「これだ!」。手書きで書かれた用紙には、30年前の自筆が、そこにあった。それを見ると懐かしさではなく、全く別の知らない人が書いた字のように思え、まるで他人事のように不思議な気持ちでページをめくっていったのである。
30年振りの自分自身との出会い。30歳若かった自分がどんな思いで書いていたのか、どう対応したのか、もうそれは今の自分とは程遠い人物だったのか…興味津々。最初のページをめくると、鼓動が徐々に早くなっていくのを感じていた。
イニキはハワイを襲ったハリケーンの中で、最も大きなハリケーンの一つ。しかも予報を覆し、突如カウアイ島にコース変更して、それも直角にコースを進み、カウアイ島へ北上した「予想外のハリケーン」であった。しかも島に近づくにつれスピードを増した、たちの悪いハリケーンでもあった。風速75m。石原裕次郎「嵐を呼ぶ男」よりも強い風だ。
イニキとはハワイの言葉で「強く刺すような風」を意味する。カテゴリー4の暴れ者だ。
日本から来られるお客様のお世話をする現地旅行会社に勤めている私は、ホノルルからの出向としてこのカウアイ島に住み始めて2年ほどした時のことである。カウアイ島は集客数がホノルルに比べ少ない。その分、スタッフ数も少ない中での業務、報告…一人何役もこなさなければならないということでもある。
そんな中、私はホノルルとの仲介役のような役務をしていた。会社からの携帯電話を携えて、夜間緊急連絡先としても兼務しているので、休む暇はあまりない。それでも「自分は、日本からこのカウアイ島に来られているお客様が快適に滞在中過ごしていただけるよう、縁の下の力持ちのような存在である」ことに誇りさえもっているのである。
しかしこのハリケーンで、その日の朝にホノルルへ行く人たちは予定通り全員送ったが、予定変更ができず仕方なくこの島に残るお客様へは、オフィスを出る前に全て連絡済みで、オフィスを去ってきたのである。お客様の中からは「今すぐ帰りたい」「ヘリコプターを用意してくれ」などの声があったが、こちらもどうする術もなく、ただ「ホテルの指示に従うように」ということしか答えられなかった。
そして私は、道路が閉鎖になる前に仕事を切り上げて帰路に着いたのである。
(つづく)
Yukio Waka
大阪で生まれ、20代後半まで大阪で暮らす。アメリカに渡り、ニューヨーク、サンフランシスコを経て、ハワイへ。ホノルルで旅行会社に勤務中、カウアイ島への出向を命じられ赴任する。イニキ災害の後、ホノルルに戻り、ハワイ島に出向。ハワイ島の魅力に取りつかれ、現在に至る。