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デジタル版・新聞

木村伊量の ニュースコラム

日本の子どもが危ない!

 ショッキング、というべきか。考えさせられるニュースがありました。国連児童基金(ユニセフ)が先月発表した「子どもの幸福度」調査です。 

 日本は総合点では、調査対象の38か国中で20位となりましたが、問題はその中身です。身体の健康面では、肥満の割合なども欧米諸国より低く、堂々の1位。ところが、自殺率や生活の満足度などの「精神的な幸福度」では37位とワースト2位に沈んでいるのです。 

 学力も健康状態も悪くないのに、生きている喜びを感じない。ある教育評論家は「生(せい)の感覚の希薄さ」を指摘しています。コロナ禍の前の調査ですが、日本の子どもたちが、はつらつとした気分や、未来への希望を失って、孤立感を深めているとしたら。これは放ってはおけない事態です。 

 昭和30年代、わたしの少年時代のことを思い出してしまいます。そこには濃密な「世間」がありました。 

 徳島市の小学校に入学したての頃は、徳島でもいちばんの盛り場の中に、父が勤める会社兼社宅がありました。近所にストリップ劇場があり、ある日、どこか遠くからやってきたおねえさんに「ぼく、お腹すいていない?」と誘われ、お好み焼きとカキ氷をご馳走になりました。肌が透けるなまめかしい(もちろん、そんな言葉は知りませんでしたが)ドレスの上にカーデガンをひっかけ、真っ赤なサンダルをはいていたこと、香水の匂いが強烈だったことを、今でも覚えています。優しいおねえさんだったなあ。 

 自宅の隣はヤクザ屋さんでした。夜通し、麻雀のジャラジャラという音で眠れないのに、うちの飼い犬が吠えると「こら、毒マンジュウ食わせるぞ」と怒鳴られ、縮みあがりました。母が銭湯で会ったヤクザ屋のおかみさんに苦情を言ってから、夜中の麻雀は止まりましたが。 

 ある夜、裏の家から火が出て、その家の子どもが焼死しました。我が家の板塀(いたべい)にも燃え移りましたが、バケツリレーで防火作業に汗をかいてくれたのが、体じゅう入れ墨だらけの怖いおにいさんたち。今でいうところの「反社会的団体」だったのでしょうが、子ども心に、いざというときに頼りになる彼らを見直しました。 

 近所の子どもたちは、小学校の上級生から幼稚園児まで一緒になって、メンコ、フラフープやら、肝だめしやらで終日、遊びほうけました。父親が刑務所に入っていた洋品店の寂しそうな息子、魚屋の泣き虫のせがれ、割烹(かっぽう)の一人娘……親たちの職業も遍歴もさまざま。「世間」というものの匂いを早くから嗅いでいたのだと思います。 

 父の転勤に伴って、徳島から福岡市の近郊の町の小学校に転校しました。プロ野球の西鉄ライオンズ全盛時代。同級生はみな茶色のライオンズの帽子をかぶっています。ところが、宿敵・南海ホークスの熱烈なファンだった父の影響で、わたしだけ緑のホークスの帽子。完全にアウェイ状態。九州弁はわからないし、仲間はずれにされました。 

 ある日、自転車に乗った級友たちから、寄ってたかって石を投げられ、頭から血が出てシャツは真っ赤に染まり、泣きじゃくりながら家に帰りました。すると、その晩、何人かの悪童どもが家にやってきて「ごめんな」。お詫びに菓子を持ってきた子もいます。それからは、すっかり打ち解けました。子どもなりの「世間」の、手荒い通過儀礼だったのでしょうか。 

 たまに、アジアの貧しい国に行くと、子どもたちの目が澄んで、キラキラと輝いているのに驚かされます。広がる格差や将来の不安にさいなまれ、苛烈な競争に疲れ切っているのか。スマホのゲームのバーチャルで孤独な世界が、数少ない「息抜き」なのか。現代日本の子どもたちの、生気がない、うつろな目は、大人の社会の反映にほかなりません。 

虐待にて死ぬ子にも皆名前あり名づけし日には愛のありしを (横浜市 安達三津子) 

 新聞の歌壇にこんな歌がありました。厚生労働省の専門家委員会は先月、2018年度には虐待で73人の子どもが死亡し、前年度より8人増えたと発表しました。戦火や災害によらずとも、温もりが消えた家庭で、子どもは殺され、短い一生を終えます。しかし、そのことに近所も、地域も、役所も気づかない。気づこうとしない。そして、すぐに忘れられる。そんな薄い人間関係がもたらす社会の未来は、寒々しく思えてなりません。

(日刊サン 2020.10.16)

木村伊量 (きむら・ただかず)

1953年、香川県生まれ。朝日新聞社入社。米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員、ワシントン特派員、論説委員、政治部長、東京本社編集局長、ヨーロッパ総局長などを経て、2012年に代表取締役社長に就任。退任後は英国セインズベリー日本藝術研究所シニア・フェローをつとめた後、2017年から国際医療福祉大学・大学院で近現代文明論などを講じる。2014年、英国エリザベス女王から大英帝国名誉勲章(CBE)を受章。共著に「湾岸戦争と日本」「公共政策とメディア」など。大のハワイ好きで、これまで10回以上は訪問。

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