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デジタル版・新聞

木村伊量の ニュースコラム

悪と気高さ、そして希望について

 海外のニュースを見ていて、胸が熱くなりました。コロナウイルス禍で死者が相次ぐ北イタリアのベルガモで、感染した72歳の神父が、自分より若い患者のために、限られた数の人工呼吸器を譲り、亡くなったというのです。自己犠牲をいとわない気高い行為は、静かな感動を呼びました。

 ところが、このニュースは真っ赤なウソ。つくり話の「美談」にすぎなかったとわかり、悔しいやら、腹立たしいやら。

 わたしがこの話に飛びついたのは、「アウシュビッツの聖者」と呼ばれるポーランド生まれのマキシミリアン・コルベ神父のことを、すぐに思い出したからです。ナチス・ドイツが支配した暗黒の時代、アウシュビッツの強制収容所で、神父は妻子がいる収容者の身代わりを申し出て、従容(しょうよう)と餓死刑に服しました。愛は死よりも強く、牢獄はおごそかな聖堂に変わりました。神父は長崎で布教活動にあたったこともあります。

 かたや、アウシュビッツで、ガス室での虐殺を取り仕切った実務責任者のひとりが、アイヒマンでした。彼は長い逃亡の末、エルサレムの法廷で、自分はヒトラー総統のもとで「与えられた職務を忠実にこなしただけだ」と弁じ、犯した罪の重さなど毛ほども感じていなかったのです。

 そのアウシュビッツを生き延びた、ユダヤ人精神科医フランクルの名著『夜と霧』(池田香代子訳)には「人間はガス室を発明した存在だ。しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りのことばを口にする存在でもあるのだ」とあります。悪魔にも天使にもなりうる。それが、われら人間というイキモノの実相なのでしょうか。

 一連のオウム真理教事件でサリンをまき、死刑になった一人が「私は極悪人です」という言葉を残していました。彼らが犯した罪はいささかも弁護の余地はないのですが、極悪人とはだれですか。高い水準の教育を受けた者も多く、彼らはけっして生まれながらの殺人鬼ではなかったはずなのです。

 人の命は尊くとも、それがひとたび戦争となると、より多くの敵を殺害した兵士は勲章を授かるのです。喜劇王チャップリンの映画『チャップリンの殺人狂時代』の有名なせりふにある通り、「一人を殺せば犯罪者だが、百万人を殺せば英雄」。凶悪で卑劣なテロリストも、仰ぐべき殉教者となるのですね。コロナ同様、いやコロナ以上に、本当にこわいのは人の心かもしれません。

 いやいや、先が見えない毎日を自宅に籠って過ごしていると、つい心も重く沈みがち。ここらで気分転換しましょう。

 わたしの自宅には、ひとりのアイルランド人の銅像の写真が掲げてあります。「わずかな報酬、極寒、暗黒の日々、生還の保証なし」という型破りの広告で募集した27人の隊員とともに「エンデュアランス」号で南極大陸横断に挑んだ、20世紀初頭の探検家アーネスト・シャクルトンです。

 南極到達を前に氷塊(ひょうかい)に囲まれると、船を捨て、徒歩とボートで氷の海を踏破し、1年8か月後、ついに1人の犠牲者も出すことなく奇跡の生還を果たしたのでした。極限の困難にぶちあたっても、決して弱音を吐かない。希望を失わない。沈着冷静に決断を下し、活路を見出す。飢え、病に倒れた部下に、そっと自分のポケットの食糧を分け与える優しさも備えていました。危機のリーダーとして、シャクルトンをしのぐ人物は歴史上もめったにはいません。

 失礼ながら、いまの日米の政治指導者は、危機のリーダーとしては落第(F)かな。ちょっと比べるのがお気の毒。

 『感染列島』という日本映画をご存知でしょうか。未知のウイルスで日本中がパニックになる中、女優の檀れいさん扮する医者が、感染症と格闘して斃(たお)れます。彼女は亡くなった弟が愛誦していた詩をつぶやきます。「たとえ明日(あした)地球が滅びるとも、きょう君は林檎(りんご)の木を植える」

 どんなに苦しくても、明日への希望を失ってはならない。朝が来ない夜はない。未来を信じて、黙々と林檎の木を植えるのが、人間のつとめなのでしょう。

 英語にも「どの雲にも、銀の裏地がついている(Every cloud has a silver lining.)という素晴らしい言葉がありますね。コロナ危機によって、人間の心の強さが試されているようにも思います。負けるな、ハワイアン!

 


木村伊量 (きむら・ただかず)

1953年、香川県生まれ。朝日新聞社入社。米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員、ワシントン特派員、論説委員、政治部長、東京本社編集局長、ヨーロッパ総局長などを経て、2012年に代表取締役社長に就任。退任後は英国セインズベリー日本藝術研究所シニア・フェローをつとめた後、2017年から国際医療福祉大学・大学院で近現代文明論などを講じる。2014年、英国エリザベス女王から大英帝国名誉勲章を受章。共著に「湾岸戦争と日本」「公共政策とメディア」など。大のハワイ好きで、これまで10回以上は訪問。


 

(日刊サン 2020.5.1)

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