陸上競技女子3000メートル障害走日本記録保持者、北京オリンピック出場。 生涯現役を目指すアスリートに聞く「陸上のこと」「サーフィンのこと」
47歳の現役陸上選手、ハワイの一日
「そもそもサーフィンは、雑誌で見ているもの、という感じでさほど興味があったわけでもなく、多くのスポーツのひとつでした」
これまでクロスカントリースキーや水泳、ゴルフ、自転車。本格的ではないにしてもアスリートとして陸上以外の種目をトレーニングに取り入れたことはある。でも、ことサーフィンに関していえば
「面白そうだからやってみて、ついでにトレーニングになればいいなと。体を動かしてやることはどれも根底ではつながるから、どれをやったとしても単なる趣味では終わらない。常に何かを(陸上に)生かしたいと思っていますし、結果的にそうなるだろうな、と思いながらやっています」
早狩実紀さん。陸上3000メートル障害日本記録保持者。47歳でいまなお現役という驚異的オリンピアンが、ハワイでサーフィンにどっぷりハマっていた。前回日刊サンのインタビューに登場いただいたビッグウェーバー青山弘一さんのもとを、早狩さんが訪れたのは今回で3回目だ。
いま、早狩さんにとってサーフィンがもっとも熱い
「去年の夏にハワイで初めてサーフィンを体験して、とても面白かった。『改めてサーフィンをやるなら』と10月に青山さんが所有する四国の波流月ロッジに泊まり、10日間合宿をして基礎を特訓していただきました。そして青山さんがハワイにいらっしゃると聞いて『ノースショアで青山さんと波乗りしたい!』と飛んで来ました」
早狩さんは現在アメリカ・ニューメキシコ州アルバカーキ在住。正月の日本帰省から戻る際にも、ハワイの青山さんの元を訪ねている。それまでアメリカと日本はダイレクトフライトだったが、年明けからのひと月の間に2度、サーフィンのためにハワイに立ち寄るほどハマってしまった。なにが早狩さんをサーフィンに引き寄せたのか。
「なによりも、自然との一体感がサーフィンにはあります。海の上の浮遊感も独特ですし、天気が良くて青い海のハワイでやったらなおさら最高です。じつはサンセットビーチでサーフィンをしたのですが、『ノースでサーフィンをする』と聞くだけで怖かった。思い切ってバーっと入ったら1回目から波に乗れました。たまたま波が小さかったからできたんですが、青山さんが一緒に入ってくださるという安心感はすごくありましたね」
青山さんの早狩さん評は「始められて間もないですが、やはり運動神経は抜群でパドルも上手い。勘がいい。普通の人の上達スピードの何倍もの速さでうまくなっていっています。まだ2、3回ですが、すでに普通の人の1年やったくらいのレベルになっています」。だが自分では「私の中ではまだ、サーフィンできます、とは自信を持って言えないレベルです」と謙遜。さらにこう分析する。
「海に2~3時間いても平気。やはり体力はある。他人よりは疲れるのが遅いですね。陸上は30年以上それなりにやっているので、体の動きもわかります。でも、サーフィンの動きはまったくゼロからでできないことだらけ。いまこの年齢になって、スポーツで体の使い方、こうしたらこうなるのか! と気づいたり、できないことをどうやったらいいか、を考えるのがすごく楽しいし、その感覚を味わうのが新鮮です」
日本選手権27回出場、トラック競技で歴代最多入賞
12歳から陸上を始め、専門は中長距離。トラックでは3000メートル障害走をメインに、800メートルから5000メートルまでをこなす。中学、高校、大学、社会人、すべての年代で日本チャンピオンとなり、18歳で初めての日本代表入り。その後、世界陸上5回、オリンピック1回の出場を果たす。2005年から3000メートル障害をはじめ、同年の世界陸上ヘルシンキ大会ではアジア新記録で世界12位。2008年には北京オリンピックの代表となる。30歳以上のマスターズクラスでは、2018年世界マスターズ選手権女子2000メートル障害にて世界記録を更新、金メダル(45-49歳クラス)を獲得した。日本選手権には1992年より27回出場し、女子3000メートル障害、800メートル、1500メートル、合わせて8回の日本タイトル獲得。入賞回数はなんと25回。トラック種目では男女通じて歴代最多入賞回数を誇るという。ロードの駅伝やクロスカントリーでは5〜10キロを中心に、最長はフルマラソンまで、幅広い種目で活躍し、ホノルルマラソン出場経験もある。第一線で活躍を続ける息の長い超人アスリートだ。
ハワイでカラダを整える
「毎朝1~2時間走る。まったく走らない日はありません。1年365日必ず。1週間のハワイ滞在中も、もちろん毎日。今朝は10マイルを1時間半くらい、のんびり走りました。ハワイ滞在は、私にとっては休み。ジョギングはしますが、私にとっては散歩みたいなもの。『休んでいるんですか?』と聞かれたら『休みではないけれど、休みです』と答えます。いま、ここではサーフィンが『トレーニング』という感覚。使わない筋肉を使うとか、やってない動きにトライするとか。そちらで体や脳を使っている。まったく走らないよりは走る方がトレーニングにはなっていますが、むしろ体を良い状態にきっちりと整える時間。体調や動きや筋肉、姿勢を整えるという意味で体をキープしておくためのランニングです」
高地トレーニングのメッカ、アルバカーキ
「いま住んでいるのはニューメキシコ州のアルバカーキ。標高が1600~1800メートルくらいで3000メートル級の山が街の東側にあり、その山の中も走ることができます。乾燥地帯で街以外は平野。サボテンだらけで西部劇に出てくるような場所。毎年10月に開催される気球の祭典『インターナショナルバルーンフィエスタ』が有名です。トレーニング環境が良く、世界中からアスリートが来る高地トレーニングのメッカのようなところなんです。きっかけは日本の実業団の長距離チームの合宿に入れてもらったこと。環境が気に入ったので本格的にこちらに拠点を移しました。それが2011年ですね。そこから日本や世界の試合にいく、という生活になりました」
47歳でいまなお現役の秘訣
「基本的に1人で練習しています。実業団チームに所属していたら、もしかしたら20歳代でオリンピックに出られたのかもしれません。でも、私はその道を選ばなかった。中学から陸上をはじめ、進路を決めるとき、いろんな選択肢がありました。そのときに、強いチームの厳しいトレーニング、管理された生活は私には『絶対に無理』と思った。それで1人でやる道を選びました。かといって心が折れたり、厳しいトレーニングを自分1人ではこなせない、そういうときには、いろいろなチームや仲間とトレーニングをします。『ここは100%やって追い込んでおかねばならない』というときは、100%やる人たちのところに自分を持って行くんです。四六時中100%の生活は気持ちがもたないって思うし、私には合わないと思ったから、1人でやったりグループの練習に参加したり、目的に応じていろんなパターンを組み合わせています」
チームに所属していると自由は効かない。所属し管理下にいるとケアはしっかりと受けることできるが、トレーニングはかなりハード。故障と紙一重のところもある。早狩さんはずっと1人でやってきた。
「そこまで追い込まないでやってきていることが、故障しない理由の一つかもしれません。1人のハンデはあるけれど、危ないと思ったところで、自分でブレーキをかけたり調整をかけたりということができるのが、他人より長くできている一つの理由かもしれませんね」
指導者にアドバイスを求めることはあるが、専属の監督やコーチは置かず、すべて自分1人。管理も何もすべて自分で行っている。早狩さんの強さはスピードとバネ、そして精神力と持ち前の体力だ。
「疲れてくると『休みたいな』と思うこともある。そこは私も青山さんの座右の銘“波流月”とまったく同じ考え方で『流れに身を任せよう』みたいに考えています。とくに40歳を過ぎてから、そうなりましたね。『この眠たさは体がしんどいよーって言ってるんだな。やりたくない時はやらなくてもいいんだよ』と思えるようになった。もともとそういう考え方や性格ではありますが、『ここで無理してやったら1週間動けなくなるだろうから、100%追い込むよりは6割ぐらいに抑えて、きっちり続ける方がいいな』といろいろ試すようになった」
カラダがOKというまで走らない。年齢に合った練習法を取り入れることで、この年齢でも驚異的な体力と、肉体を手に入れている。
35歳でオリンピック初出場
「私がオリンピックに出場した3000メートル障害という種目は、もともと女子種目として実施されていませんでした。公式種目になったのが2005年、オリンピック種目になったのが2008年、『新しくできたしやってみよう』と思ってやったら日本記録が出せて、北京オリンピックの参加資格タイムをクリアし、代表に選ばれました」
それまでは800メートルや1500メートルの選手だった。それが、3000メートル障害に転向し世界に出ていけるようになった。
「私は3000メートル障害に転向した32歳から、すべての記録が伸びたんです。気持ちが前に向き、体調も良くなった。(3000メートル障害が)自分に合っていたのかな、と思います。その頃からはじめた高地トレーニングも効果があったのでしょう。きっといろいろなタイミングが合ったんだと思います」
35回もハードルを跳び越える過酷な種目
3000メートル障害は、障害物(ハードル)を35回、うち7回はハードルの向こう側にある水壕と呼ばれる、腰ほどの深さがある水たまりを跳び越えながら走る、という過酷な種目だ。初めて障害を跳んだときの印象を振り返ってもらった。いろんな人に「向いているのでは」と言われた。やってみたら「あー、できるかも♡」と思った。でも最初はまったくの未知の世界。それまで一度も跳んだことがなかったから「本当に3000メートルで35回もハードル跳んだらどうなるんだろう?」と思っていた。そして初めてレースを走ったときは途中から足が動かなくなった。「こんなキツいなんて~!」。足がダメージを受け、固まって「もう動かない!」みたいな感じだった。「見ているよりきつい! と思ったし、ゴールしたときも達成感というより『やっと終わった…』という感じでした。でも、できないことややったことないことに挑戦する喜びみたいなものに魅かれるのかもしれません。日常でも、ちっちゃなことでも見つけて挑戦してみる、そこから、陸上につなげていく。陸上って飽きないというか、いつまででもやりたい。答えはないんです。終わりはないです。体が動く限り」
挑戦。
自身の日本記録を破り、つかみとる五輪出場権
もちろん東京オリンピック出場を目指している。選考会は6月大阪で開催される日本選手権だ。しかし、出場の切符を得るには、世界陸連が定める参加資格タイム9分30秒00を超えなければならない。
「私が持っている日本記録(9分33秒93)でも出られないほど高レベル。日本でその記録で走っている人はまだ1人もいないのです。私がよっぽどその当時のベストコンディションまで持って行かない限り、ひょっとしたらこの種目(出場者)はいないかもしれません。大変といえば大変ですが、あまり力んでもうまくいかない。がむしゃらにやっても仕方ない。自分の中でなにが大事か、重要かがわかるようになったいま、挑戦は止まりません」
みんなに上限を見せるために走り続ける
「これからオリンピックに向けての最終調整に入ります。だから、サーフィンは今回やったらしばらくは封印ですね。今日もめいっぱい楽しんできます。
陸上のトレーニングや技術を教えるのに長けている人はたくさんいます。私は指導より、自分が動く方が楽しい。だから『こうやったら速くなるよ』を教えるより、私は『こう陸上をやっていますよ』と見本を見せてあげたいのです。素質がある子が若いうちに辞めざるを得ないとか、いやでやりたくない、となってしまうことが残念でなりません。だったら『長く続けられたらいつかオリンピック出られるかもよ、私みたいにね』ってみんなが思い込んでいる限界を無くしていきたい。何歳になっても進化はできる。いろいろなことをめいっぱい味わって、自分だからこそできる経験をめいっぱいしたい。生涯現役。アメリカのプロサーファー、ケリー・スレーターと同じ47歳、どのスポーツでもこの年齢の現役アスリートはほとんどいないので、走って跳んで、サーフィンができることをみんなに見てもらいたいですね」
来年2021年5月には、日本で世界のスポーツの祭典“ワールドマスターズゲームズ“が開催される。「30歳以上であれば、申し込んだら誰でも出られます。日刊サンの読者の皆さまの中にも、出場資格がある方がたくさんいらっしゃると思います。ぜひエントリーしてみてください!」とエールを送ってくれた。
(取材・文 鶴丸貴敏)
(日刊サン 2020.3.21)
早狩 実紀(はやかり みのり)さん
1972年京都市生まれ。同志社大学卒。1987年中学2年生で全国都道府県対抗女子駅伝初出場、以降27回出場うち14回の優勝に貢献する。1991年大学1年生で女子3000メートルで世界陸上初出場。2008年北京オリンピック女子3000メートル障害でオリンピック初出場。同種目の日本記録保持者。2018年世界マスターズ女子2000メートル障害で金メダル、世界新記録を樹立。プロアスリート。